自身の家に案内をしてくれる由依の足元は、やっぱり覚束なかった。

一体どうしたというのか。
体調があまり優れないのか。

何を想像してみても、目の前を歩く由依に問う事は出来なかった。


ゆっくりとした足取りで辿り着いたのは、小さな二階建てのアパートだった。

どうやら由依の部屋は二階に位置するらしく、階段の方へと歩を進めて行く。
そして、そこで更なる違和感が生まれた。

由依は手摺りに手を掛けると、片足を上げたのだが、段差を確かめるかの様に、一段一段慎重に上がり始めたのだ。

由依の後ろに居る私に、今の由依の表情を読み取る事は不可能だった。
だから、ただ、由依の後ろをゆっくりと着いて行く事しか出来なかった。


階段を上り切ると、三つの部屋が並んでいた。
由依の部屋は、その真ん中に位置する様で、真ん中に位置する扉の前で立ち止まった。
そして、又もや違和感が生まれる。

由依は、中々鍵穴に鍵を挿し込む事が出来ずに居た。
数回試した後に、ようやく鍵が挿し込まれる。



「何もないけど、ゆっくりしてね」



そう言って扉を開けてくれる。
「お邪魔します」と小さく返して中へと入れば、部屋はスッキリと片付いていた。
あまり生活感のない部屋に、少しばかり由依らしさを感じてしまう。

由依はソファに腰掛けると、小さくため息を吐く。



「……ねぇ、由依」

「ん?」

「何か…隠してない…?」



そう問えば、由依は眉を下げて小さく笑った。
窓の方を向いて、口を開く。



「今日は、晴れてる?」

「え、今日…?今日は…曇り、じゃないかな…?」



唐突な天候の話に、拍子抜けしてしまう。
まるで私の質問の答えになっていない。
それ所か、まさか質問を質問で返されるとは。

どうしたものかと考えていると、インターフォンが鳴り響く。

由依はゆっくりと立ち上がると、これまた覚束ない足取りで玄関へと向かう。
そんな由依の後を徐に着いていく。

扉を開くと、立っていたのは背の高い女性だった。



「やっほー、由依ちゃん」

「…土生さん?」

「そうだよー。今日ね、肉じゃが作り過ぎちゃったから、お裾分けに来たの。はい、これ」



土生という女性は、由依の手に肉じゃがが入っているであろうタッパーを持たせる。
由依と視線が交わっている訳ではないのに、土生という女性は全く気に留めていない様子。

勿論、私が気にし過ぎている部分はあるのかも知れない。
それでも、何も知らない事には理解する事なんて出来なかった。


土生さんが帰ると、由依は小さくため息を吐いた。
タッパーを持つ手は、心なしか震えている様にも見えた。



「……由依…?」

「……」

「由依…?」

「ねぇ、理佐?」

「うん?」

「…もう、分かってるでしょ…?」



私に背を向けたまま問うてくる由依は、今までで一番小さく見えた。
無理して明るく振る舞おうとしてくれているのか、声は震えている。

何となく、今日の由依を見ていて抱いたものはある。

でも、酷かも知れないけど、由依の口から聞きたかった。
だから、何も答えずに居れば、由依はゆっくりと振り返り、口を開いた。



「私さ……」

「うん…」

「……いつか、目が見えなくなるんだ…」



何となく勘付いては居た。
それでも、直接伝えられると、その不安が一心に伝わってくる。

現に、由依の目からは涙が零れ落ちている。

ただ、疑問があった。
それは、由依が言った“いつか“という言葉。
つまり、まだ見えてはいるという事なのだろうか。



「今は、まだ見えるの…?」

「多少はね…。でも、ボヤけるし、調子が良くなければ光を頼りにするしかない時もある…」



その言葉に、由依と出会った時からの事を思い返す。

すると、合点がいく事がほとんどであった。

段差のない所で躓く。
近くに行かないと、誰かを認識出来ない。
そして、今日の行動。

全て合点がいった。

そして、出会ったあの頃も。
もしかして、と由依に尋ねれば、由依は苦笑いを見せた。



「あの時は、まだここまで酷くなかったよ。少し見え難いくらいだったし」

「じゃあ…いつから、そんなに酷くなったの…?」

「うーん…。夏休みに入ってからかな。段々視界が狭くなった感じもしたし」



その時、夏休みでのあの会話を思い出した。

ここまで知れば、どうして由依が海を見たいのかが分かる気がしてきた。


いつか失明してしまう恐怖の中で、由依は踠いていただけなんだと理解した。
そんな由依の気持ちも分かってあげられず、私は自分の欲を優先してしまった。

そうなれば襲ってくるのは後悔の念。

今、由依は私の表情が見えているのだろうか。
もし、見えてるのなら、この顔は見せられない。
だって、由依は「仕方ないよ」って小さく笑うだけな気がするから。

だから、まだ見えているなら、今からでも遅くないはず。
夏休みの時よりかは、視界はボヤけてしまって、狭まってしまっているかも知れない。
それでも、由依の望みを叶えてあげたいと思ったのだ。



「由依」

「ん?」

「明日、朝時間ある?」

「あるけど……理佐、学校でしょ…?」

「ちょっと早いかも知れないけど、迎え来るから」

「え?え?」



困惑する由依を他所に、私は今立てたばかりの計画を実行するべく、由依の家を足早に去った。





由依が喜ぶかは分からない。
でも、望みを叶えてあげたい。
そして、その時に……私の気持ちも伝えたい。





私は、由依が好きなんだよって。