翌朝、私は前日に用意しておいた物を詰めたボストンバッグを自転車の籠に入れ、由依の家へと向かった。

時刻は午前四時を過ぎた所。
外はまだ夜同様闇に包まれている。

それでも、自転車の前照灯、偶に有る街路灯、そして何よりも月の光が照らしてくれているお陰で、先が見えない事はない。
でも、この明るさでは、由依はもう見えないのだと思う。

それが、どれだけ怖い事なのか。孤独を齎すのか。
私には分かってあげられない。
でも、せめて捌け口になってあげられたらと思ったのだ。
恐怖や孤独を独りで感じる事を、これ以上由依にはして欲しくないから。させたくないから。


由依の家が入るアパートに辿り着いて、先ずは迷惑ではあるが、由依に電話を掛ける。
メッセージを送ろうかと悩んだが、寝起きで視界がボヤけているであろう中で、無理はさせたくない。



『……はい…、…もしもし…?』



寝起き特有の吐息混じりに掠れた声。
大凡ではあるが、名前までは確認出来てはいないのであろう。
少しばかり他人行儀な対応に、申し訳なさを感じてしまう。



「もしもし、理佐だけど。こんな早くにごめんね」

『……理佐…?大丈夫だけど、今、何時…?』

「朝の四時過ぎ」

『……え、早くない…?どうしたの…?何かあったの?』

「昨日、言ったでしょ?迎えに来るって」

『え……、もしかして、もう家来てるの?』



驚きの声を漏らす由依は、おそらく勢いで身体を起こしたのだろう。
布団が擦れる音が電話越しに聞こえてきた。
慌てて転倒してしまったら、元も子もないので急がなくていい事を由依に伝えると、私を待たせる方が申し訳ないと一蹴されてしまった。

鍵が開錠された音に続いて、扉が少しだけ開く音。
ひょっこりと外を伺う様に、由依が顔を覗かせた。



「…理佐…?」

「おはよう、由依。こんなに早くにごめんね?」

「ううん、大丈夫。それより寒いでしょ?中入って待ってて」



由依の言葉に甘えて、私は一度由依の家に上げてもらう。
一度足を踏み入れれば、暖かな空気が頬を撫でる。

部屋の電気は煌々としていて、突然の明るさに目が慣れないが、由依は全く気になっていない様子。
それを見ると、チクリと心が痛む。

この明るさこそが、今の由依にとっては一つの頼りでしかないのだから。

ふと部屋を見渡せば、部屋の片隅にポツンと置かれたヒーターが目に入る。
近寄って見ると、一切使われていないのか、若干埃を被っていた。



「由依の部屋、暖かいね」

「ずっと付けっぱなしだからねぇ。タイマーとか入れたいんだけど、どのボタンか分からなくてさ…」



「もう電気代が嵩むよ」と自嘲気味に言う由依に申し訳なさが込み上げてしまう。
一見、普通に動き回っていたので忘れてしまう。

由依は、目がほとんど見えていないのだという事を。



「はい。甘過ぎたらごめんね」



由依はそう言って、温かいココアを差し出してくれた。

私の失言を気にしていないのか、将又、気にしない様に努めているのかは分からないけれど、そういった所で由依の優しさを感じる。

そんな由依を眺めながら、ココアを一口。
冷え切った身体が芯から温められていく様に感じる。

由依は外に出る支度をする為か、クローゼットを開く。
そして、一人暮らしの癖なのか、性なのか、何の躊躇いもなく服を脱ぎ始めるものだから、他所様の着替えを見るなんてあるまじき事なのに、どうしてか私は目を逸らす事が出来なかった。
そして、声を掛けるタイミングも同時に失ってしまった。



「っ……」



申し訳程度に軽く咳払いをすれば、由依も気が付いたのか、「あ…」と少し間抜けな声を漏らす。



「え…理佐、こっち見てない…よね?」

「み、見てないっ。断じて見てないっ!」



恐々と確認をされれば、直ぐに顔を背けて見せる。

きっと、今私の顔は紅く染まっているのだろう。
恥ずかしさと、どうしてか沸き上がってくる嬉しさの所為だ。
穴があったら入りたい程に恥ずかしい。

一人で悶々としていると、クスクスと由依が笑う。

何事かと顔を上げれば、厚手のパーカーにジーンズとラフな格好をしている由依の姿があった。
口元を押さえて笑う姿を見ると、学校の屋上での一時を思い出す。
その頃よりも、由依は少し痩せてしまった様に見えるけど、場所は違えど、またこうして笑い合える事が、何よりも嬉しかった。



「ふふ、別に見てたって分からないんだから、そんなに焦って答える事ないのに」

「え、いや、それは……。まぁ…その…私が恥ずかしいと言いますか…」

「理佐は素直だよね。出会った時から、すごく羨ましかったんだ。その素直さ」

「え、何か子ども扱いしてない?」

「してないしてない。本当に羨ましいし、尊敬してるんだよ?」



静かな場所だからか、由依は私の方をちゃんと見て話してくれている。
視線が交わっている訳ではないけど、今ならそれだけで喜びが込み上げてくる。

少し前の自分に言ってやりたい。
由依には由依の事情があったんだという事を。


それから暫くして、時刻を確認すれば五時を過ぎようとしていた。

由依の家から海までの距離は、大体ではあるけど把握している。
今頃から向かえば、日の出には間に合うだろう。



「由依、そろそろ出掛けたいんだけど、大丈夫?」

「大丈夫だけど、もう明るくなったの?」

「うーん…。まだ暗いけど、大丈夫!私が居るから!」



不安そうにする由依の手を取り、外に出る。
相変わらず、外は寒くて、予め用意しておいた上着を由依に着せ、マフラーを巻いてあげれば、いくら厚手のパーカーを着ているにせよ、やはり寒さが勝っていた様で心なしかホッとしている様に見えた。

家を出たばかりで、まだ冷え切っていない手を繋いでみれば、由依の頬が少しだけ紅くなっている様に感じた。でも、暗がりだからよく分からなかったのが本当の所。

僅かな段差に注意を払いながら、ゆっくりとした足取りで海へと向かう。



由依に気持ちを伝えられるまで、後少し。