お昼休みが終わってからも、由依は教室には戻らず屋上で時間を潰していた様だ。
HRが終わってから保健室へと足を運べば、梨加ちゃんしか居らず、屋上へと向かえば、愁気な表情を浮かべる由依の姿があった。
そんな由依に声を掛けてはいいものかと、一瞬躊躇ってしまう。
それに、何故だか胸騒ぎがした。
今の由依が醸し出すあの雰囲気を、何処かで感じた事があった様な気がする。
「由依」
考えるよりも、声を掛けて直に雰囲気を感じ取ろうと思った。
呼ばれた事には気が付いている筈。
それでも、由依がこちらに目を向ける迄の時間は、何故だか途轍もなく長く感じた。
屋上の入り口から、フェンスまでのほんの十数メートルの距離が、信じられない程に長く感じた。
それ程、由依が遠くに居るかの様に感じられた。
「理佐、今日はバイトあるの?」
「今日はないよ。行きたい?」
「ううん。ただの確認」
「何の確認よ」
何時の間にやらこちらに歩み寄ってくれていた由依が、突然、そんな事を聞いてきたものだから少しだけ驚く。
そして、行きたい訳ではないという事実に笑って返せば、「別に」と素っ気無く返されてしまった。
反応があっただけ、いいのかも知れないけど。
でも、よくよく考えてみれば、”確認”という言葉は違和感しかなかった。
私が喫茶店でアルバイトをしていれば、都合がいい事なのか…。
何か知られたくない事があるのか…。
何にせよ、由依の口からそれ以上語られる事はないだろう。
語るにしても、それは単なる騙りでしかない。
由依を嘘で固める事はしたくない。
だから、触れないでいる事が一番なんだ。
家に帰る迄の間、会話が生まれる事はなかった。
普通の人なら、もしかしたら気不味いと感じるのかも知れないけど、由依と過ごしていると、こういう時は多々ある。
私が多弁な訳でもないから、これくらいが丁度いいのかも知れない。
私の家に着くと、一度立ち止まる。
「理佐…」
消え入りそうな声で私を呼ぶ由依。
その姿が、あの時の姿を彷彿とさせた。
とても小さく感じられた。消えてしまうのではないかと思った。
「うん?」
「……また、明日ね」
何もかもが重なる。
このまま由依を帰してはいけない。
そう思った。
返事をしない私に小首を傾げつつも、家に向かおうとする由依の腕を徐に掴む。
突然掴まれたものだから、由依も驚いていた。
「…理佐?」
「……っ……」
言わなくてはいけないのに…。
「行かないで」って、止めなくてはいけないのに…。
喉の奥が震えて、言葉が出て来ない。
そんな私の頬を、由依は優しく撫でる。
「…大丈夫だから。信じて…?」
その言葉に、掴んでいた腕を離すしかなかった。
踵を回らせて、由依は家に向かって歩き出した。
私は、その後ろ姿を見送る事しか出来なかった。
ねぇ、由依。気付いてる?
今の由依は、嘘を吐く時に絶対にそう言うんだよ…。
小さな背中に、声にならない声を投げ掛ける事しか術がなかった。
夜になって、雨が降り出した。
あの日は土砂降りの雨だった。
それに比べたらマシなものだけど、雨の所為で余計にあの日の事が鮮明に浮かび上がってくる。
そんな時、突然携帯電話に着信が入る。
相手を確認すれば、お父さんだった。
「もしもし?…うん、うん、分かった。気を付けてね」
内容は、仕事が長引いてしまって遅くなりそうだから、ご飯は先に食べておいて欲しいとの事だった。
通話を終えてから、ふと窓の外を見れば、先程よりも雨脚が強まっている様に見えた。
あの日の事があってから、雨は好きになれない。
一度気になってしまうと、中々消えないものだ。
駄目元で由依に電話を掛けてみる。
しかし、幾ら待っても呼び出し音が繰り返されるだけ。
諦めて切ろうと画面を操作しようとした時、通話状態に切り替わった。
急いで耳に充て直せば、微かに震える吐息が聞こえてきた。
「……由依…?」
『…どう、したの…?』
「私の台詞だよ…。何でそんなに声震えてるの?何があったの?」
『…理佐にも、梨加ちゃんにも…かなわないな…』
由依が呟く様に溢したのと同時に、水を跳ねる音が聞こえた。
「…由依?…由依っ!?」
『……ちょっと…疲れた、な……』
その後、何度呼び掛けても由依からの返事はなかった。
聞こえてきたのは、地面を叩く雨粒の音だけ。
気が付けば、私は傘も持たずに家を飛び出していた。