私と由依が出会ったのは、高校一年生の四月の半ば。
ようやくクラスに馴染めてきたばかりという頃だった。
昼休み、いつもは教室で友人と昼食を摂ってから話をしているだけの事が多いのだけれど、その日は何故だか私は席を立ち、一人屋上へと向かった。
誰かに呼ばれている訳でも何でもない。
ただ、どうしてか屋上へと行きたい気分だったのかも知れない。
重苦しい扉を開けば、見慣れた街並みが広がる。
フェンスの方へと向かっている途中、何処からかギターの音色が聴こえてきた。
辺りを見渡してみると、隅の方で一人の生徒がギターを抱えていた。
彼女は、ギターに夢中で、まだ私の存在には気が付いていない様子。
そんな彼女のギターの音色に聴き惚れていると、ふとギターを弾く手が止まり、彼女は私の存在に気が付いた。
『え、誰?』
怪訝な表情でこちらを見る彼女。
可愛らしい顔なのにも関わらず、目を細めたまま、まるでこちらを睨んでいるかの様だ。
でも、どうしてか睨まれているという感覚には、この時の私は陥らなかった。
屋上という場所が、そんな思いを抱かせたのかも知れない。
そもそも、屋上は出入りが自由な訳だから、いつ誰がやって来るなんて分かったものではないのだから。
『素敵な音色だね』
『……』
『私は一年三組の渡邉 理佐。あなたは?』
『…五組の、小林 由依』
“五組”と聞いて、先日の友人達の会話を思い出す。
何でも、五組にはよく授業をサボる生徒が居るとか。
更に、誰に対してもガンを飛ばす様な子が居るとか。
ふと、目の前の彼女を見て、その話と照らし合わせてしまった。
今は昼休みにせよ、捉え方によっては私は彼女にガンを飛ばされた可能性がない訳でもない。
互いに自己紹介をした後、私が何も言葉を発しないからか、彼女の顔は更に怪訝さを増す。
そして、小さくため息を一つ。
『……よく分からないけど、興味本位で見に来たなら早くどっか行って』
『?…興味本位も何も、私は小林さんの事は何も知らない。今日だって、偶々屋上に来てみようと思って来ただけ。そしたら、素敵なギターの音色が聴こえてきて、今、こうやって小林さんと対面してるだけ』
何とも冷たい物言いではあったけれど、関わった事のない人からのその様な態度に臆する事はなかった。
素直に、今のこの状況が偶然である事を説明すれば、彼女は目を丸くする。
今の今まで怪訝な表情しか見ていなかったからなのか、その表情が何とも可愛らしかった。
しかし、今の彼女の言葉に疑問を抱いた。
彼女は自身が噂をされている事は知っている様だ。
でも、あの言い種からすると、何故その様に噂をされているのか理解し兼ねているのではないか。
『ねぇ』
『ん?』
『何て呼んだらいい?』
『理佐でいいよ』
『分かった。私は由依って呼んで』
抱いた疑問を自らの中で解決しようと、答えを模索していれば、彼女もとい由依は少しばかり哀愁を帯びた眼差しで声を掛けてきた。
そんな由依の憂いを含む空気感に、私は何処か惹かれるものがあったのかも知れない。
それから、夏休みに入るまでの間、昼休みの時間を由依と共有する事が多くなった。
その中で、少しだけ由依の事を知れた気がする。
『……あれ?理佐、私のスマホ知らない?』
『え?そこにあるじゃん』
『あ、ほんとだ』
手探りで携帯電話を探す由依の反対側を指差せば、由依は小っ恥ずかしそうに頬を赤く染める。
携帯電話を制服のポケットに仕舞うと、由依は立ち上がった。
『あー……午後の授業怠いなぁ…』
『偶には真面目に受けなよー?』
『…分かってるよ』
少し面倒臭そうにしながらも、由依は屋上の出入り口に向かって歩き出す。
しかし、段差も何もないというのに、何故か躓いてしまう事が多々あった。
『…危なぁ…。また転ぶ所だった』
『もー…ほんと、気を付けてよ?』
『気を付けてるんだって、これでも』
小さく笑う由依だけれど、見ている此方は冷や冷やする事も稀にあった。
そう、由依は所謂ドジっ子の類の様だった。
見た目はしっかりしていそうなのに、何処か抜けている。
由依のそんな所にも、私は惹かれていたのかも知れない。
その日の帰り道、由依と夏休みの事について話した。
『由依は夏休みに、家族と何処か行く予定あるの?』
『んー…ないかなぁ。実家に戻るのも面倒だし』
『え、由依って一人暮らしなの?』
由依が一人暮らしだという事を、この時に初めて知った。
何でも、実家は県外にあるらしくて、実家から通う事も可能ではあったのだが、朝が弱いという事もあって、一人暮らしを決意したというのだ。
多少は両親から援助はあるそうだが、基本的にはアルバイトで生計を立てているとか。
『だからバイト三昧じゃないかなぁ』
小さく笑う由依だけれど、その表情を見る限り満更でもなさそう。
『バイトは毎日入ってるの?』
『掛け持ちしてるから、ほぼ毎日だよ』
『そっか…。大変だよね…』
『まぁね。でも、自分が可哀想とかは思わないかな。そもそも、この道を選んだのは私だし』
『もし空いてる日があったら、由依と遊んでみたかったけど、あんまり余裕なさそうだね…』
正直、由依と遊んでみたかった。
何をしたいという明確なものがある訳ではないけど、学校以外の場所で、時間を共有してみたかった。
完全に諦めモードな私に対して、由依はキョトンとした顔をしている。
そんな由依の顔を見て、私もきっとキョトンとしてしまっているに違いない。
『え、遊ぼうよ?午前でバイト終わる日もあるし』
『でも、疲れない?』
『あはは。疲れるかどうかは分からないよ。でも、休みがない訳じゃないし。それに……』
『…それに……?』
『理佐と海に行ってみたいって思ってたんだ』
唐突な由依からのお誘いに、私の目は丸くなってしまっただろう。
それだけ嬉しかった。
『あ、ヤバイ!バイト遅れちゃう!理佐、また連絡するね』
由依は早口でそう言うと、走り出した。
走り去る由依の背中に、小さく手を振って、私も帰路へと就いた。
この時の私は、どうして由依が海に行きたいと言ったのかなんて、考えていなかった。
今問えるのなら、問いたい。
何で、もっと早く言ってくれなかったの?って。