震災の日、市役所に居た。大きく揺れて、長かったので外へ出た。地面が大きく左右に揺れ続け、異常を感じた。船酔いの様な不快感を感じた。
落ち着いた後、テレビをつけると、津波の映像が映し出されていた。
それから連日伝えられる悲惨な状況や心配な数々。山梨県にも起こる強い予震の日々。
そんななか、宮城県の古い友人から、今日メールがやっと返って来た。家族の全員無事を伝えるメールからは、喜びと悲しみと皆で生きる決意が伝わった。
ほっとして涙が出た。そして一生懸命生きようと思った。
じいちゃん達が戦後作ってくれた日本は、そう簡単には負けない。
そう確信して、今できること、節電と節燃料に努めている。
電気が東北へ届き、希望の灯りになります様に。燃料は氷点下の避難所の温もりになります様に。
原発は必ず解決すると信じて、東北はまた活気ある街になると信じて、頑張ろう東北でもなく、ましてや東電でもなく、
頑張ろう日本。
はまかいじ
生きています。