様々なニュースをお伝えする<News Angle>。今回は、世界的ピアニストのフジコ・ヘミングさんが亡くなった事が明らかになりました。このニュースをお伝え致します。
リストの難曲「ラ・カンパネラ」などを熱を込めて演奏し、人気を博したピアニストのフジコ・ヘミング(本名:ゲオルギー・ヘミング・イングリット・フジコ)さんが4月21日(日)、膵臓がんのため死去しました。92歳でした。フジコ・ヘミング財団が2日(木)、公式サイトで発表しました。葬儀は近親者のみで執り行われました。後日、お別れの会を行う予定だということです。
同財団によりますと、昨年11月に自宅で転倒した後、今年3月膵臓がんであると診断され、療養を続けていたということです。
ドイツ留学中だった日本人ピアニストの母とスウェーデン人建築家の父との間にベルリンで生まれました。まもなく東京に移住し、5歳で母からピアノを習い始めました。
東京芸術大学を卒業し、28歳でベルリンの音楽学校に留学。卒業後、演奏家としてキャリアを積み、世界的な指揮者のレナード・バーンスタインさんらに才能を認められました。
中耳炎のため10代半ばで右耳が聴こえなくなっていましたが、30代半ばで風邪をこじらせ右耳の聴力も失いました。左耳は一定程度回復しましたが、音楽活動の一時中断を余儀なくされました。
母の死を受け、1995年(平成7年)に日本に帰国。1999年(平成11年)、波乱の人生を追ったNHKのドキュメンタリー番組が放送されると人気に火が付き、同年リリースのデビューアルバム「奇跡のカンパネラ」は200万枚超えの大ヒットとなりました。
「ラ・カンパネラ」を始めショパンやラベルの曲を得意とし、晩年まで国内外で演奏活動を繰り広げました。10月には、コロナ禍の日々などを追ったドキュメンタリー映画「恋するピアニスト フジコ・ヘミング」が全国公開されます。
ピアニスト フジコ・ヘミングさん
4月21日(日) 膵臓がんのため死去
享年92
という訳で、世界的ピアニストとしても知られたフジコ・ヘミングさんが先月21日(日)に亡くなっていた事が明らかになりました。
フジコさんと言えば、リストの難曲である「ラ・カンパネラ」などでも知られ″奇跡のピアニスト″と称されていました。
数多くのファンがいらっしゃったフジコさん。それだけに今回の死去の報はびっくりされた方も多いのではないかと思います。
また一人昭和を代表する方がいなくなってしました。
フジコ・ヘミングさんのご冥福をお祈り申し上げます。