東日本大震災から10年になります。

 

自分は障がい者なので、当時は仙台にある施設で生活してたので、施設の中で生活する分には困ることは無かったように思います。唯一、停電が1週間弱続き情報を得る手段が無かったこと。津波の映像を見たのは、その頃(停電が解消された)だったと記憶にあります。僕の実家は石巻にあるのですが、地震による直接的な被害はありませんでしたが海からかなり離れているにもかかわらず津波が川を逆流し田んぼにかかりひくまで3日ほどかかったと父が話してくれました。そして漁師さんのいとこの家、自宅だけが無事だったというのは、不幸中の幸いと言って良いでしょう……子供の頃、ちょうど夏休みの頃、釣りに行っていた場所も津波の被害を受け、被災……現在は復興はしたものの、あの頃釣りをした季節(とき)の風景は、もう記憶と心の中にしかありません。

 

 最近、宮城県内のローカル新聞社の河北新報さんの震災担当の記者の方と、これまた僕が大好きなグループの乃木坂46のメンバーで宮城県出身の久保史緒里さんの対談記事をインターネット上で拝見して何か書きたいと思い、これを書いてます。実は結成した年から数えるなら、乃木坂46も10年になります。あの時は余裕がなくて、認知するまで5年ぐらいかかってしまいました。白石麻衣、西野七瀬ぐらいしか知らなかったこと、恥ずかしいですが……。ちょうどその頃だったでしようか。乃木坂46に地元、仙台出身のメンバーがいるというので、調べたら久保史緒里ちゃんでした。ずっと、白石麻衣(まいやん)推しだったのですが、グループを卒業されたので今の推しメンは史緒里ちゃん賀喜ちゃんです。
前述の記事を読んでいく中で史緒里ちゃんの体験談、被災者としてアイドルとしての悩みを抱えて過ごしていた事を知ることが出来た。僕も記事の中でインタビューしていた記者の方の気持ちに賛成です。乃木坂46だから、乃木坂46の久保史緒里だから、発信できるし、多くの人に伝わるんだと思います。焦らずに史緒里ちゃんのペースで伝えていってください。
思うに震災があった年に結成した乃木坂46には秋田県の生駒里奈ちゃんもいました。そこに被災した史緒里ちゃんが、そして余談ですが岩手県から4期生として佐藤璃果ちゃんが入ることは、運命だったのかな?と……。さらに付け加えるなら3期生オーディションで隣同士だったらしいですが。

 

乃木坂46のファンになって出会いもありました。それについてはブログの過去記事をご覧になってください。

 

一昨年、昨年と中心メンバーが卒業してしまい、グルーブとしては大きな変革期とも言える時期に差し掛かりました。奇しくも10年……あまりにできすぎた偶然ではないかな?と思うのはひねくれ者の証拠ですね。


新型コロナの影響で握手会や観客を動員してのコンサートは開催のメドが立ちません。握手会に変わりオンラインミート&グリートという画面越しでのトーク会形式もありますが、言語障がいも持っている僕としては参加するのは敷居が高いです。

 

でも、コロナが終息してツア-が可能になって仙台に来たら絶対に行きたいし、その時は久保ちゃんが表題曲センターで凱旋という形になれば良いなぁ!

 

しーちゃん、待ってるよ!

 

 

 

 

 


最後にちょっとだけ…。

 

あまり表に出てませんが僕たち、身体障がい者の施設利用者も新型コロナウィルス感染症の影響を受けています。昨年から、ほぼ外出できてません。外出はできないというのが簡単だからです。個別に対応すれば方法はあるはずだと思うのですが、支援員不足だったり様々な事情が重なって出来ないんですよと言うような説明があれば納得するんですが……。