高齢の父親が、昨年の夏ぐらいから、食べるのがゆっくりになりました。
元気な時は、10分で食べるぐらい早食い傾向だったのに。
そして夏の終わりごろから、食べる量が減ってきて、
秋に入ると、大好きなテレビの時代劇も見なくなりました。
軽い認知症もあるのですが、
ちょこちょこ歩きが、さらに歩きづらそうになりました。
食事もせず寝ていることも多くなり、病院で検査の結果、
11月の終わりに入院。
病名は、左肺がん。
(ネットで調べると、長寿ガンというとか)
入院生活は嫌だったようですが、いつもニコニコしている父は、
担当の先生や看護師さんからは良くして頂きました。
そして12月中旬に外泊した時は、以前よりも元気に感じました。
その後、父の希望を優先して、年末に退院。
家のベット脇に手すりのレンタルや、デイサービスの準備などして迎えました。
しかし家に帰ってくると、やはり食べない、眠ってばかりに。
夜中のトイレに行く際、よく歩けず、台所の冷たい床に転がってしまったとき、物音に気が付いた母が、引きずってベットへ連れて行った、という話を後から聞いて、このままでは共倒れになる、と感じました。
10日ほど家に居ましたが、お正月明けに介護タクシーで病院に行き、再入院となりました。
(本当は、最後まで家で見れた方がよかったと思いますが、老老介護は厳しく、申し訳ないと思いながら再入院を私が判断しました)
1日わずか15分の面会で、行くと大抵眠っている状態が続きました。
食べないので、点滴を入れていて、生きながらえている、という感じ。
1月18日、持って行った市内の銘菓の洋菓子のクリームをスプーンで奇跡的に食べる!!
しかも美味しい、と!
これが最後の母から父への食事。
その翌週、院内感染により、面会ができなくなった。
10日後の2月1日、かなり弱ってきたので、こっそり面会OKです、
と連絡があり、急いで病院に行き、室内へは完全防備をして面会。
そこにはすっかり変わってしまった父親。
足は冷たい、薄目を開けても反応は無い。
あまりの変化に、涙が流れ落ちました。
そして6日後の7日に眠るように亡くなりました。
看護師さんからは、前日はちょこっとお喋りもしたので、
急でびっくりしました、と言われました。
先生からは、全く痛がることもなく、いつもニコニコしていて本当に偉かったよ、
と頂きました。
(実際、痛みは全くなかったようです)
今思うと、11月の初めに甥と釣りに行けてよかったな、
とか
7月に私の運転で、父の実家へ行けてよかったな、とか、
良いこともある反面、
最後を見る、という責任の重さに心が痛むことが多かった。。
喪主は高齢の母ではなく、一人っ子の私。
初めてのことばかりで、奔走しました。
あっという間に2カ月。
昨年は愛犬。
今年は父親。
春は別れの季節。
そして、新しい出会いもあることでしょう。
桜がきれいな今、
あらためて、
この一瞬を大事にしたいです。