「ハンブルグの黒い霧」は師匠の技 -2ページ目

人間なんてそんなもの

数日前、X(旧Twitter)に「子どもの声 騒音問題」みたいなワードがトレンド入りしていた。

なんかそういったニュース記事があったんだろうな。

ちょいちょい見る話題だし。

皆さんのポスト(これツイートのことだよね?)は賛否両論で、こういうときは否定が多数を占める。

どちらの意見もまあまあ理解できて、今のところ「人間なんてそんなもんだよな 笑」という思いになる。



どのケースにも当てはまる解決方法があるか分からないけど、コミュニケーション不足のようなものが問題なんだと思っている。

「自分が子どもだった頃もうるさかっただろうに」ってよくある意見には賛同できるものの、おそらくそこには近所付き合いがあって、知っている子どもだから許容範囲が広かったんだと思う。

場所によるだろうけど、一人暮らしが多かったりする今はけっこう希薄になっていない?

 同じマンションなのに挨拶すらしないって聞くし。

それじゃ許容範囲狭くなるわ。

それから、子どもだから何でも許していいってのはちょっと違うと思う。

実際、度が過ぎれば怒られていたし。

 ま、この「怒る」はよろしくないんだけどね。

ちょっと話はズレるんだけど、近所の子どもが何度も畑に入っていたことがあったんだ。

何かあるとまずいから子どもたちに声をかけて「これこれこういう理由だから畑には入らないでほしいんだ」って説明したら、素直に理解してくれた。

「騒音」に関してもコミュニケーションがあればお互いに納得できる音量に持って行けるんじやないかな。

(なんか表現がヘタクソですいません)

そうはいっても一人暮らしの大人と遊ぶ子どもたちがコミュニケーションをとる機会なんてそうそうないだろうけど。



あとちょいちょい見掛けたのは「子どもは宝」って話ね。

「国にとって大切なものなんだから我慢しなよ」的なことなんだろうけど、こちらも理解しつつ、なんか違うとも思えてしまう。

いくら「宝」と理解していても、今の自分の生活を維持したい(しなきゃいけない)から、 不必要なものは遠ざけたい気持ちになるのは分かる。

また話変わって申し訳ないんだけど、うちの近所に墓地建設の話が出て、問題になったことがあったんだ。

個人的には賛成でも反対でもなかったけど、近隣住民は反対運動起こしていた。

墓地と隣接していて窓開けたらお墓見えるなんて環境になったら子どもはかわいそうとは思った。

でも、お墓って一応必要ものではあるじゃん。

反対運動起こしている人だってどこかにお墓は持っているだろうし、それを買ったときに「近隣住民に迷惑かも」なんて考えよぎらなかったでしょ。

他にはさ、あなたの家庭で使用している電力を作っていた原発から出た使用済み核燃料。

それらの最終処分場をあなたの町に作ります。

そんな話が出たから、間違いなく多くの人が反対運動を起こすでしょ。

これらに共通しているのは「必要だけど、近くあるのは嫌」だよね。



自分の立場、規模の大きさや内容に違いはあれど、自分の都合の良いようにしか考えないよね。

だからこそ様々な意見に理解を示しつつ、「人間なんてそんなもんだよな 笑」と思ってしまう。




「男性のみの入店お断りのプリクラ店」「男性トイレ内だけ防犯カメラ」は当たり前? 防犯か差別か、ジ

「男性のみの入店お断りのプリクラ店」「男性トイレ内だけ防犯カメラ」は当たり前? 防犯か差別か、ジェンダー平等とは? 



「男性トイレに防犯カメラ」なんて聞いたことなかった。
どこら辺に設置しているんだろう。
何の犯罪を防止するためなんだろう。
差別かどうかは分からんが、これはあまりよろしくないことだと思う。


一方「男性のみの入店お断りのプリクラ店」だけど、こちらは別に問題ないと思うのだが。
これは商売の話でもあるからね。
よくあるサービスデーと一緒で、来て欲しい客層を狙ったものだろうから。
もしこれがダメなら女性専用のフィットネスクラブ「カーブス」もアウトにならないかい?
講演会なのか講習会なのか知らんけど、女性のみってのもあるし。
ま、あまり気分はよくないが 笑
逆に「男性のみOK」をやってみるのもありなのかな。
どのパターンが一番利益があるのか分かるだろうし。


ライブだと「男のみ」「女のみ」をやっているアーティストいるよね。
カエラとかUVERworldがそうだっけ。
あれは盛り上がり方が違うんだろうな。
選曲や演出も変えてたりして、それはそれで楽しそう。

真相はいかに

注)今回は妄想・都合のいい解釈多めで書く予定です。



 齋藤飛鳥メッセージが開始されてからそろそろ1ヶ月となります。

それがあるからでしょうか、インスタグラムのほうで飛鳥から感謝の言葉がありました。

こちらこそありがとうです。



あのアプリが始まったときネットニュースになっていました。

コメント欄には喜びや感謝の声があがる一方で、「金のため」だの「卒業してファンが離れるのが寂しいんだろ」といった声もありました。

実際問題としてそういった考えもなきにしもあらずといったところでしょうが、わざわざそんなコメントするなんてつまんねーヤツだなと思うわけです。

それに飛鳥や運営はちゃんとファンのことを考えています。



 


上のスクショは乃木坂46公式ホームページで発表されたお知らせです。
このお知らせに歓喜したファンは多かったことでしょう。



そして、こちらのスクショは俺が書いた飛鳥へのコメントです。
飛鳥ブログがなくなる前にスクショしておきました。
この頃は卒業しているのでブログの更新はなく、乃木坂46メッセージに来た飛鳥からメッセージに対するコメントで、最後に送ったものだったはずです。
2枚のスクショの日付を見てもらえば分かりますが、このときには齋藤飛鳥メッセージの情報は全くありません。
このまま終わるのも仕方ないと思いながらも、引き続きどこかしらで繋がっていられればと思い、「またこういった形でもいいから、交流できる日を楽しみにしています。」と書いておきました。
 ここでもう一度乃木坂46公式ホームページのスクショを見てみましょう。
そこには「齋藤飛鳥より、今後もファンの皆さまと交流を持つ場としてメッセージサービスができないかという相談があり」とあります。


あすかちゃん、コメント読んでくれてんじゃん。


ファンからのコメント数は多く、本人は忙しい。
コメントを書き込んだところでそんなに読みはしないだろうという思いはあります。
でも時々読んでいるんだろうなと感じることもありました。
数年前の話ですが、飛鳥メールで送られてきた写真がコメントした内容に近い関係にあるものだったことがありました。
他にも飛鳥に頼まれて後輩メンバーへお礼の言葉を書いた際に普段使わない言葉を使用したら、その後送られてきた飛鳥メールにもその言葉が使われていました。


やっぱ読んでくれてんじゃん。


こういったことは市來さんにもありました。
彼女はアメブロをやっていたときのことです。
ピカソのドキュメンタリー映画の話を書いていたので、自分もそれをチェックし、そのことをコメントしました。
そしたら次のブログ記事には「観てくれた方いましたね」といったことが書かれていました。


市來さんも読んでくれてたじゃん。


そして最近ですが、新たにそう感じることがあったのです。
彼女が出演したラジオ番組『日テレアナザワールド』での出来事です。
勘違いではないと思うんだけど、暑さ対策を訊かれた市來さんは「太陽と仲良くする」と答えていました。
一緒に出演していたアナウンサーの頭にはハテナマークが浮かんだでしょう。
よく分からん答えですから。
俺は面白かったんですけどね。
というのも、以前こんなことがありました。
彼女が大学4年生のときだったと思います。
ブログに「花粉症対策はどんなのがありますか」とありました。
俺はちゃんとした情報として「舌禍免疫療法があるよ」と書き、もうひとつは「花粉と仲良くする」と書きました。
ホント花粉症はツラいんです。
毎年花粉に負けた気持ちになるのですが、それなら花粉と友達になったくらいの気持ちで「ヘイ!今年もまた来たのかい?」なんて調子でいられれば少しは気が楽になるんじゃないかという思いがあったのです。
これがまさかあのような形で活かされるとは……。


だいぶ前のこと覚えてくれてたじゃん。


コメントしたところで一方通行なんだと思いきや、意外とそうではないんですね。
長年応援していると良いこともあるようです。


なんて思い込むポジティブさも大切かもしれません。
楽しい人生を過ごすために。