TXT Vol.2 「ID」 | 刹那に輝く

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ガチ恋ヲタクの軌跡

 

高橋悠也×東映シアタープロジェクト
TXT Vol.2 「ID」

2021/7/4(日)

@サンケイホールブリーゼ

 

推しメンが久々に対面の舞台に出るということで観に行ってきました。

前作の「SLANG」から約2年ぶりのTXTです。

「SLANG」という作品は、僕の中の舞台という概念を破壊するおもしろさ、衝撃だったので、今回もかなり期待していました。

 

 
この会場、井上小百合様が舞台呼ばれるようになってからめちゃくちゃ来る頻度高い()
 
というか、女性客の割合よ。
TXT、いつもキャストがイケメン俳優ばかりなので、男性客が少なすぎる。マジで肩身が狭い。()
 
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今回僕が参加したのは大千穐楽だけでしたが、どうやら毎回内容が微妙に違うらしいですね。
東京公演も含めて全部で1つのストーリーになるらしいです。
 
 
観賞した感想を一言でいうと、
 
まぁ、意味が分からん
 
という感じです()
 
前作も今作も、言葉や感情という形のない物の表現を舞台の主題にしているらしいですが、感情の方が難しそうですね。
 
言葉はその単語単語に人が意味を持たせて作り出したものですが、感情はその感情を抱いた人の中でしかその正体がわからないものです。
すなわち、例えば「嬉しい」という言葉があり、我々は「嬉しさ」というものを漠然と理解できます。しかし、その感情は抱く人依存のものです。
ある人が「私は嬉しいです。」と言ったところで、それを伝えられた人が全員全く同じ「感情」を理解できるかと言うと絶対にそんなことはないし、だからこそ人はいつまで経っても他人の事を理解できないのでしょう。
英語を母国語としない我々が、glad,happy,delightの違いをはっきり理解できないのと同じ感じなのかなと思います。
言葉は定義がしっかりあるし、なんとか説明できるものである一方、感情は完全には説明できないものというのが、前作との大きな違いなのかなと思います。
 
そんな形のない感情を「見える形」として舞台上に落とし込もうとしたのがこのIDという作品なのでしょう。
 
 
結局、この作品が最も伝えようとしている事はなんだったのか。
 
個人のidentificationを決めるのは遺伝子なのか、戸籍なのか、それとも感情なのか。
感情は目的遂行のために捏造されるものなのか。
人工知能によって完璧に作り上げられたIntelligent Designこそが真なのか。
それとも、感情を持たないとされる無機物質にさえ、経験から生まれるものなのか。
 
結局のところ、よくわからないです。
 
あと、なんだろう。自分が理系だからこんなことを考えてしまうのかよくわからないけど、設定上謎なことも多かったですね。
 
・序盤、人の「ID」は脳に依存するという話
 
もし仮にある人の脳だけを別の人に移植できたとして、今後その人から受け継がれるのは誰の意思なんでしょうね。
確かに、その人の感情は脳の所有者に依存するでしょう。でも、その子孫に代々受け継がれるのは、移植先の身体の所有者の遺伝子なのでは?
個性、identiticationの話をバックにDNAの螺旋構造や23対の染色体を映し出して語るのはなんか違和感でした。そしてポルフィリン環は本当に遺伝子とも関係なくない?()
 
・委員会が研究成果を学会提出しようとしてる件
 
アバターではなく、実際の囚人を使った人体実験だと知っておきながら、精神兵器を利用したデータ収集は明らかに道徳に反する。
こんなインフォームド・コンセントの取れていない人体実験、仮に論文投稿したとして、一体誰が査読を通すんでしょうね。()
 
・実験の再現性()

 

最終版で明らかになる物語のループ性。というか、単に何万回も同様の実験を繰り返していて、今回の舞台はその中の一回に過ぎないというオチ。

教授は何万回も繰り返すことで実験は完成すると言っているが、意味が分からん。どういうこと?

毎回毎回、学級委員が精神兵器で死ぬ結末で再現性が取れているのに、実験の条件も変えずに同じことやり続けている意図は?

それとも同じことをやり続けることで、ディープラーニングのように人工知能が「感情」を理解して、美しい人間を作り出せるのか?

だとしたら、本編以外にも様々な「感情」を生む状況を検討するべきではないのか?

何を目的に実験をしているのか、結局意味が分からなかったけど、欲しい実験結果があるのであれば適宜条件検討して実験計画は再構築するものじゃないのか?同じことを何万回繰り返して一体どうなるのか。理解できない。

 

・感情のパンデミック

 

我が推しメン井上小百合(テラ)が命を懸けて訴えかけた自分たちの「存在意義」。

結局誰か一人にでも感情は伝播したのだろうか。

これも毎回毎回やっているのであれば、それこそ感情と言うより、異変に気が付く人がいてもいいように思うのだが。

囚人の脱出をそうそう見逃す機関はやばいでしょ。()

それでも何万回も実験を継続できるほどに誰も政府への不信感を抱いていない。

果たして、舞台のテーマの1つである感情のパンデミックはこの先起きることはあるのだろうか。

 

・アンジー

 

死んだのでは?

いや、精神がではなく、囚人の肉体が死んだのでは?

他の囚人は再利用()できるのかもしれないけど、怒りのアバターは毎回違う囚人使ってるの?

一体この実験でどれだけの囚人が死んでるの?

 

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よくわからないですね。

まぁ、井上小百合様も言っていたけど、受け取り方は人それぞれと言うことで正しい解釈はないのかもしれませんね。

 

それも含めて、作中では全ての評価基準が正しい、正しくないではなく、「美しさ」で表現されていたのかもしれません。

「美しさ」の基準は人それぞれ。このIDという作品を見て、美しいと感じる部分があれば、それがその人の感情に最も訴えかけられた部分なのかなと思います。

 

TXTは途中まで結論が読めそうな展開にしておいて、最後の最後でひっくり返すストーリーばかりですね。

感情とは何か、存在意義は何なのか、それを追い続ける主人公は囚人の方なのかと思って観ていましたが、結局何回繰り返したところで、囚人の方は救われないんだなぁ。

元より死刑囚なので同情はできなけど、全ての記憶を消された上で1つの感情しか持たない操り人形にされるのは、死刑よりも残酷な事でしょう。

最終的に焦点があてられるのは人工知能集団の委員会の方であり、中盤のストーリーの核である囚人たちが救われる道がないのは何だかモヤモヤします。

 

まぁ、でも彼らは美しく生きたのだと思います。

革命、演説、方法は様々だけど、自分を取り巻く不条理な現状を打破して、存在意義を追い求める生き様は確かに美しいと思いましたね。

就活を目前にして、自分のやりたいことは何だ。自分はどういう人間なのか。ということに悩まされつつ、結局何も行動できない自分とは大違いですね。

 

自分の存在意義なんてきっと誰もわかっていないと思います。

でも、そんな中で誰かの心、記憶に残る生き方を最後までやり抜くって事が大事なのかもしれないと思いました。

 

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どうやら、TXTが存続する限り、井上小百合様はキャストに呼んでいただけるようですね。

ならば、次回作も観に行くしかないですね。

 

他の舞台と違って、はっきりとしたエンドがない分、TXTは複数回見てもいいのかもしれません。