高橋悠也×東映シアタープロジェクト
TXT Vol.2 「ID」
2021/7/4(日)
@サンケイホールブリーゼ
推しメンが久々に対面の舞台に出るということで観に行ってきました。
前作の「SLANG」から約2年ぶりのTXTです。
「SLANG」という作品は、僕の中の舞台という概念を破壊するおもしろさ、衝撃だったので、今回もかなり期待していました。
最終版で明らかになる物語のループ性。というか、単に何万回も同様の実験を繰り返していて、今回の舞台はその中の一回に過ぎないというオチ。
教授は何万回も繰り返すことで実験は完成すると言っているが、意味が分からん。どういうこと?
毎回毎回、学級委員が精神兵器で死ぬ結末で再現性が取れているのに、実験の条件も変えずに同じことやり続けている意図は?
それとも同じことをやり続けることで、ディープラーニングのように人工知能が「感情」を理解して、美しい人間を作り出せるのか?
だとしたら、本編以外にも様々な「感情」を生む状況を検討するべきではないのか?
何を目的に実験をしているのか、結局意味が分からなかったけど、欲しい実験結果があるのであれば適宜条件検討して実験計画は再構築するものじゃないのか?同じことを何万回繰り返して一体どうなるのか。理解できない。
・感情のパンデミック
我が推しメン井上小百合(テラ)が命を懸けて訴えかけた自分たちの「存在意義」。
結局誰か一人にでも感情は伝播したのだろうか。
これも毎回毎回やっているのであれば、それこそ感情と言うより、異変に気が付く人がいてもいいように思うのだが。
囚人の脱出をそうそう見逃す機関はやばいでしょ。()
それでも何万回も実験を継続できるほどに誰も政府への不信感を抱いていない。
果たして、舞台のテーマの1つである感情のパンデミックはこの先起きることはあるのだろうか。
・アンジー
死んだのでは?
いや、精神がではなく、囚人の肉体が死んだのでは?
他の囚人は再利用()できるのかもしれないけど、怒りのアバターは毎回違う囚人使ってるの?
一体この実験でどれだけの囚人が死んでるの?
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よくわからないですね。
まぁ、井上小百合様も言っていたけど、受け取り方は人それぞれと言うことで正しい解釈はないのかもしれませんね。
それも含めて、作中では全ての評価基準が正しい、正しくないではなく、「美しさ」で表現されていたのかもしれません。
「美しさ」の基準は人それぞれ。このIDという作品を見て、美しいと感じる部分があれば、それがその人の感情に最も訴えかけられた部分なのかなと思います。
TXTは途中まで結論が読めそうな展開にしておいて、最後の最後でひっくり返すストーリーばかりですね。
感情とは何か、存在意義は何なのか、それを追い続ける主人公は囚人の方なのかと思って観ていましたが、結局何回繰り返したところで、囚人の方は救われないんだなぁ。
元より死刑囚なので同情はできなけど、全ての記憶を消された上で1つの感情しか持たない操り人形にされるのは、死刑よりも残酷な事でしょう。
最終的に焦点があてられるのは人工知能集団の委員会の方であり、中盤のストーリーの核である囚人たちが救われる道がないのは何だかモヤモヤします。
まぁ、でも彼らは美しく生きたのだと思います。
革命、演説、方法は様々だけど、自分を取り巻く不条理な現状を打破して、存在意義を追い求める生き様は確かに美しいと思いましたね。
就活を目前にして、自分のやりたいことは何だ。自分はどういう人間なのか。ということに悩まされつつ、結局何も行動できない自分とは大違いですね。
自分の存在意義なんてきっと誰もわかっていないと思います。
でも、そんな中で誰かの心、記憶に残る生き方を最後までやり抜くって事が大事なのかもしれないと思いました。
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どうやら、TXTが存続する限り、井上小百合様はキャストに呼んでいただけるようですね。
ならば、次回作も観に行くしかないですね。
他の舞台と違って、はっきりとしたエンドがない分、TXTは複数回見てもいいのかもしれません。