10 BABYMETAL BUDOKAN考察(1) | 私、BABYMETALの味方です。

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★今日のベビメタ
本日4月18日は過去BABYMETAL関連で大きなイベントのなかった日DEATH。

10 BABYMETAL BUDOKAN10公演が無事終了し、6月26日のWorld Premiere配信まで、久々のベビメタロスの日々が到来することとなった。
ここでは、ベビメタ史上「最大の戦い」となった10 BABYMETAL BUDOKANの意味について、ぼくなりの考察をしていこうと思う。
その前に、誰もハッキリ書いていないので、一番重要なことを書いておく。
METAL RESISTANCE第10章は、2021年1月19日の10 BABYMETAL BUDOKAN初日に始まり、2021年4月15日の最終日に完結した。
この3か月間が、METAL RESISTANCE 第10章だった。
以前ぼくは、EpisodeⅩとして予定されていた2020年10月10日が「最終章の始まり」で、それから約1年間は続くはずと考えていたが、10 BABYMETAL BUDOKAN が3か月間続いたことで、その疑問は氷解した。
このことは、本連載の最後にもう一度書く。
それを踏まえて、ポイントは4つ。
1つ目は、世界的な「パンデミック」が続く中で、日本では「緊急事態宣言」が発出されていた1月~4月、しかも東京のど真ん中で、日本武道館連続10回公演が行われたことである。
「DYSTOPIAによって声を奪われた」という設定によって、歓声を上げることも、モッシュもできなかったが、それでも1回あたり5,000人、のべ50,000人の有観客ライブが開催できたのだ。
2つ目は、セットリストが、ベストアルバム『10 BABYMETAL YEARS』の収録曲を基本としつつも、その中に2曲ほどの「日替わり楽曲」が挿入され、トータルとして「あの日、あの時、あの場所」を思い起こさせる構成になっていたことである。中には当時のサポートダンサーが出演したセトリもあった。
これによって、10年間のBABYMETALの歩みを、ぼくら観客は改めて確認することができた。
3つ目は、日本武道館の構造を生かしたセンターステージ構成としたことである。
三人は、逃げ場所もないプレッシャーと戦いつつ、ステージが回転しない分、自分たちが360度回っていくダンスフォーメーションを披露した。
また、上部八角形スクリーンだけでなく、センターステージの床面・ステージ側面・外周花道側面にも映像を映すことで、三人のダンスやパフォーマンスが映像やレーザー光、スモーク、パイロと一体化した。
これは、今まで誰も実現できなかった新しい表現形態だったと思う。
4つ目は、「METAL RESISTANCE最終章」~10のゴングを鳴らして終止符を打つと銘打っておきながら、最終日に至っても次に進むステップ=「新章」が発表されなかったことである。
一方で、現実のパフォーマンスとしては、シンガーとしてのSU-METALが過去最高の歌唱を聴かせてくれ、BBM楽曲を一人で歌い踊ることでMOAMETALが“ソロデビュー”した。
昨年秋以降、アベンジャーとして一人に絞られた岡崎百々子のダンスパフォーマンスやフィジカルも、この3か月間で相当鍛錬された印象がある。つまり、パフォーマンス自体は「成長」しているので、あとは、新しいBABYMETAL像を新しい「神話」に位置づけ、新たな展開を告知するだけだ。
ところが、最終日に発表されたのは6月26日の「10 BABYMETAL BUDOKAN総集編」のWorld Premiere配信だけで、次の展開がまったく発表されなかった。これはいったいどういうことなのか。
以上、4つのポイントにしたがって、考察していこう。

まず、1つ目。10 BABYMETAL BUDOKANが「緊急事態宣言」下で、のべ50,000人を動員したこと。
2021年1月7日、東京都の小池百合子知事ら首都圏4知事の要請により、2度目の「緊急事態宣言」が発出された。これによって、予定されていた10 BABYMETAL BUDOKANは開催できないと思ったが、アミューズおよびチームベビメタは、菅首相が打ち出した「収容定員の半分、最大5,000人までのイベントの開催を認める」というレギュレーションにしたがって、予定通り開催すると告知した。
Doomsday-Ⅰ・Ⅱが始まった2021年1月19-20日当時、日本全体のPCR陽性判定者≒マスコミがいう「感染確認者」は1日当たり5,000人前後、1週間当たりでは4万人前後だった。これは、あらゆる人の集まるイベントが―パチンコ屋ですらも―「自粛」に追い込まれた2020年4月の第1回「緊急事態宣言」とほぼ同じレベルだった。
このブログでは何度も書いているように、そもそも、人間を発症させることがない、ごく少量のウイルスの「死骸」のRNAでも、わざわざ増幅して検知し「陽性」にしてしまうのがPCR検査であり、それを「感染者」と呼んで毎日報道したり、それによって「感染が広がっている」と怯えたり、法的に隔離しなければならないのは、大間違いである。
百歩譲って、人口に占める「感染者」数が、社会的リスクのバロメーターになるとしても、PCR検査数という分母の数や、国や検査機関ごとの増幅率(CT値)がどれだけなのか公開されなくては、自然現象としての生きた感染力のあるウイルスが国内にどのくらい広がっているのかがわからない。
だが、国も検査機関もマスメディアも、なぜかそれらを一切調査しないし公表もしない。
分母となる検査数もCT値も、それが生きたウイルスなのか「死骸」なのかも一切考慮せず、PCR陽性者≒「感染者」が増えること「だけ」が「緊急事態」発令の根拠になるというのが、昨年以降、世界の「常識」らしい。
サヨク政党は、国民全員にPCR検査をやり、「ゼロコロナ」にならない限り、東京オリンピックを中止せよという。これは実は倒立した論理で、日本の危機=自民党政権が無能であることを強調するために、東京オリンピックを中止させ、そのために「ゼロコロナ」を目標にして、その実、「感染者」を作り続けるためにPCR検査をやり続けたいだけだ。高いCT値なら、化石になったウイルスの死骸のRNAでも増幅して検知できるのがPCR検査だからだ。
こういう、ぼくにいわせれば「トチ狂った医療ファシズム」が、世界を覆っている状況をBABYMETALは「DYSTOPIA」と呼んだ。
DYSTOPIAとは、行き過ぎた科学や理性が人間を支配する暗黒社会のことだ。
普通に考えれば、ウイルスの死骸が鼻の先にくっついた人間を「感染者」とは呼ばない。
だが、「PCR検査」「実効再生産数」「RNAメッセンジャー型ワクチン」という一見「科学」めいた用語に、世界中の人間が騙されてしまった。
武漢ウイルス禍が文字通り「科学」によって作られたDYSTOPIAであることは、「感染者」が、発展途上国より先進国の方が多いことを見ればすぐにわかる。
もちろん、BABYMETAL運営がそこまで考えているかどうかはわからない。
だが、「緊急事態宣言」下で開幕した10 BABYMETAL BUDOKANの初日、8人のキツネ面男たちが、暗黒舞踏のように松明をもって現れる「In the Name of」から、真っ赤に染まった場内、ステージスクリーンに廃墟の映像が映る中、「♪ウォーウォーウォーウォー…」と登場したBABYMETALは、まさに「救世主」のようだった。
「♪偽善者なんてKill捨てちまえよ」という歌詞は、まさにテレビの中の「専門家」たちに向けられているように、ぼくには思えた。


BABYMETALが、この3か月間、日本武道館で10回もの連続公演を完遂したことは、マスメディアではほとんど報じられず、一部ネットの音楽サイトで記事になっただけである。
それは、裏を返せば、この「緊急事態宣言」=「トチ狂った医療ファシズム」の中で、BABYMETALが東京のど真ん中で、のべ5万人の有観客ライブをやったこと、そして、その中から1人の「感染者」も出なかったことが、いかに「不都合な真実」だったかを証ししている。
いや、そんなことはどうでもいいのだ。
ぼくらメイトにとっては、マスメディアが煽り立てる「緊急事態宣言」よりも、BABYMETALが10周年を迎えて記念ライブをやることの方が意義あることだったのだ。
BABYMETALがライブをやるなら、何をおいてもぼくらは駆けつける。レギュレーションを守れというなら、いくらでも守る。
今回、開場時点から「マスクの上からSaviorマスク」「大声を上げての声援は禁止」「観客同士の接触は禁止」「客席の移動は禁止」「友達同士が大声で話すことも禁止」「規制退場でディスタンスをとること」「寄り道禁止。家に帰るまでが10 BABYMETAL BUDOKAN」といった規制が「キツネ様からのお告げ」としてアナウンスされていた。
そして、大歓声の代わりに「拍手」「足踏み」などの練習があり、Ⅲ以降は「ビッグヘドバンウェイヴ」も行われた。さらに楽曲中にも録音されたSEで歓声が流された。
正直言って、何よりも大声で歓声や合いの手を叫べないのはつまらない。
足腰に痛みがあるぼくには着座できるのはありがたいが、本当ならサークルモッシュしたり、ハイタッチしたりしたい。朝から物販列に並んで、いろんな地方や海外から来たメイトと交流したい。一緒に昼飯を食い、終演後は居酒屋で語り合いたい。
リモートワーク、マスク、ソーシャルディスタンス、密集や接触の回避など、「新しい生活様式」を固定させようとする人々がいるが、ぼくは断固反対である。
元に戻せ。
見知らぬ者同士がモッシュできる社会を取り戻せといいたい。
なぜなら、このブログに1年間書き続けてきたように、ぼくは武漢ウイルスが、これまでの風邪やインフルエンザと同程度の社会的リスクしかないと確信しているからだ。風邪に罹って何が悪い。
だから、METAL RESISTANCEは終わったのではない。
METALによる日常へのRESISTANCEは、ぼくらの中に内在化された。
「医療ファシズム」「メディアファシズム」に抗うぼくらのレジスタンスは、これから始まるのだ。
(つづく)