多様性ってどういうイメージでしょう?


個性ある人がそれぞれの個性を


「認めあって」発揮している状態…。


そういうイメージかと思います。




そう、この「認めあって」の部分がすごく重要。


認めあえるためには何が必要でしょう?


お互いを理解するためには何が必要でしょう??


「努力」では半分正解です。





努力してわかろうとしてもそれだけでは認めあえません。





「わかりたいけど、努力したけど結局わからない」


「わからないから、なかったことにしよう」


「あの個性でそのまま生きたらいいよ」


となってしまう。




本質は「関係性」にあります。


1人ひとりが「個性」を持っている、ではなく。


相手を深く理解して尊重するから、「個性」として花開く。


=認めあう。






1人ひとりが、必死で「勉強」して


スーパーマン的に「知っている理解している人」に


なること。




つまり、


相手を深く知ることで、


自分のなかに「相手がより深い存在として立ち上がってくる」


はじめから個性的でなくて、


認めて理解することで個性として生きられるようになる、


これが正解だと思います。





つまり、


多様性=1人ひとりがすごく勉強しているからこそ


成り立つ。


と思います。





…関係性ってことは、


個別には存在できないってこと。




1人が個性があっても、


それを個性と認めている周囲がいないと


多様性として「機能しない」


というか。


「在る」状態にならない。


つまり、多様性が確保された状態になれない。




その個性を理解して受け入れて環境調整できる人が


周囲にいるからこそ。


多様性が多様性として「在る」ことができると思います。




ぶっちゃけこれって、絶対に100パーセントの実現は無理。


常にずっと勉強しつづけて…


って無理でしょ。





…理念であって努力目標にしかなれませんよ。


でもそれをわかった上で。


なお、そこを一途に全員が目指し続ける状態。


が永遠続くようでしたら。。





「多様性」実現の可能性が


出会いの度に花開く…。


あちらこちらで「多様性という花」が


今まさにここで生まれ続けるような…。







まとめてしまえば、


周囲が常に勉強して


その場面ごとで深く知った状態にいないと


多様性な状態は保てない=実現できない


ということだと思うのです。






だから、


ただ単に「個性を認めて」とか


「理解を深めるべきだ」とか


だけでは難しい。




具体的な行動として、


実際に、日々勉強して知識を深めて


実践の中で深めて、


自分にも相手にも配慮を行き届かせることができる…。


そこまで行かないと「多様性」は発現しないと思います。







実際に国民全員が


毎日すっごく勉強して周囲の個性に関して深めていって…


無理ですよね。


なので、努力目標でしかないとは思います。







でも、「生涯勉強」っていうのは、


このことを言っているのではないでしょうか。


この意味であるべきだと思いませんか。


スローガン的にある以上。






【言うは易し、行うは難し】を


地で行っているなと思います。




なかなか難しいですね、多様性。


でもそのように動的な全体としてのイメージで


理解することで、


行動の具体性につながると思います。







…ちょっと思うことありましたので、


メモ的に記録しました。