アイドルにお花を出したヲタクが何故あんなにも嬉しそうにしているのでしょう。
嬉しいのはアイドル側なのに。
お花はその時々、人それぞれ贈る目的が違います。
それぞれが色んな考えを持ちながら、その考えを感情に変換して、強く強く握りしめてぎゅーっと小さくしたものがお花です。
時に感謝、祝い、激励、お別れ、労い。
握りしめるのは貴方です。強く潰れるぐらいに握りしめる人もいる。そんなに力を入れない人もいる。それでいいじゃない。
何故突然横に現れた人に「お前全然握ってないけどどうした?」って言われるのだろう。
実際に言われたことは無い。
けど、お花への気持ちは人それぞれだと常日頃から思う。

そんなお花をある人に贈った。
それはアイドル。それは乃木坂46。
彼女はお花をじっくり見る。読む。
見た上で僕が言葉を発する前に「ありがとう」と言う。
僕はお花の立て札を自分で作りたい人。
彼女が見てくれる、読んでくれる、伝えてくれる。だから立て札を作る。気合いを入れる。

それが形になったのが今年贈ったお花達。
僕の想いが伝わったのかは分からない。
分かるわけない、本人にしか分からない感情だから。
といって「想い伝わりましたか?」と聞き出すのも違う。
その代わりに「どうだった?」と感想を聞く。
握手会のせいぜい3秒。その一瞬で出た感想こそが本心だと思う。
僕がこれを聞いて一番お気に入りな返答は「青が沢山だった」である。
その頃の僕は「お花を贈って“やった”人」。
だからこの時この瞬間はこういう端的な感想に心から納得する訳もない。
しかし人間どうなるか分からないもので、しばらくして考えると「見てくれた上での感想」ということに気付いた。

そうやって考えるだけで気持ちも変わる。
あの一瞬で彼女から出た「青だった」が一気に嬉しく思えてくる。不思議なもんだ。
さっきまで「もっと良い言葉を求めてたのに」とグダグダ言っていたのに「ありがとう」に変わる。

長々と語ってきたが、何が言いたいかと言うと、「贈り手次第でどうにでもなる」。
貴方は何を目的にお花を贈りますか?
喜んで貰いたい?涙を流して貰いたい?
相手に求め過ぎてはいないか?

お花はこちらが好き勝手やるもの。
相手にとっては突然贈られてくるもの。

お花に感情は乗せてもいい。
ただ、お花に見せかけた自己欲求を相手に見せてはいけない。
たかがお花。されどお花。

ここまでは個人の話、団体で出すとまた変わってくると思う。

大人数でやればやるほど「意見出さなくても進むでしょ」と思う人は増える。
それが嫌だ。嫌い。やって欲しくない。
だから僕は初めに「皆さんからの意見を聞かせてください」と問いかける。
そうすると、ひとりふたりと続けるように意見を出してくれる。意見同士が反対のこともある。それでいい。一緒になることなんてない。
そうやって一緒に作り上げるのが団体で出すお花。
みんなで作るからこそ達成感も喜びも大きい。
そして何より贈る相手が凄く喜んでくれる。
僕がこの喜びを知ったのは最近。
これからもお花企画は積極的にやっていきたい。それが僕の自己満であったとしても「あいつこんな事書いてたな」なんて思ってくれたらいい。

お花企画で出会う人も別れる人もいる。
当日会場に来れなくても気持ちだけ届けてくれる人がいる。来れないと分かっていながら「参加したいです!」と声をかけてくれる人がいる。そんな人達を見て、僕が手を抜いていられますか?忙しいを言い訳に出来ますか?
全力で気持ちを送ってくるのだから、こちらも全力で答える。それが形になった時、達成感が生まれるのだろう。
当日会場に来れなくてもこんな僕に気持ちを授けてくれた人達を尊敬します。
そしてこれからも瞳に映る彼女の背中を追いかけましょう。

ありがとうございました。
締めなんてものはないです。
また想いが高まった時に文字に起こします。

それでは!

砂糖デラックス