ニッポン哲学(5) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ
本日3月23日は、過去BABYMETAL関連で大きなイベントのなかった日DEATH。



<2021年3月22日現在>                
PCR検査数    累積9,320,597     2月20日7,901,922     直近30日間1,418,675
陽性判定数    累積456,781     2月20日423,311     直近30日間33,470
死者数        累積8,835     2月20日7,333         直近30日間1,502
致死率        累積1.93%    2月20日1.73%        直近30日間4.49%
(データ元:厚労省「新型コロナウイルス感染症に関する報道発表資料」)

ベーシック・インカムという考え方がある。
一般的には「政府がすべての国民(個人)に対して、最低限の生活ができるだけの現金を支給する」という政策であり、16世紀イングランドで、基本的人権である生存権のひとつとして最初に提案された長い歴史がある。
現代では、社会主義的であるという批判がある一方、自由主義の論客の中にも、生活保護や医療保険、最低賃金といった社会保障制度をなくす代わりにベーシック・インカムを提供すればよい、という観点で賛成する人もいる。この変形として、アメリカの経済学者ミルトン・フリードマンは、4万ドルを均衡点として、それ以上の所得者には課税し、それ以下の所得者には4万ドルになるまで政府が支給するという「負の所得税」を唱えた。
ぼくがこの政策を真剣に考える直接の契機になったのは、昨年、日本の安倍政権が発出した「緊急事態宣言」において、大人も子どもも一律「一人当たり10万円」の現金が支給され、他方、勤めていた会社が倒産したり、非正規アルバイトのシフトが消滅したりすることによって収入がなくなり、自殺する人が大幅に増えたためである。
自殺衝動は、「もう生きていけない」「死んだ方がマシだ」という絶望の感情に起因する。
さまざまな要因によって、脳内で情報を伝達するセロトニンやドーパミンといった物質が分泌されなくなると、朝起きるのがおっくうになり、人に会いたくない、日の光を浴びるのも嫌だ、働きたくない、動きたくないという感情に支配されるようになる。鬱状態である。
そんな状態でも、責任感の強い人は感情を押し殺して日常活動を続ける。だが、それも限界を迎えると、家から出ることができなくなる。
人に会わないから声も出なくなり、動かないから体型が崩れ、体力も落ち、働けないから収入もなく、「こんなことではダメだ」と自己嫌悪しつつ、外へ出ない日々が重なれば重なるほど、ドアが重くなっていく。そして、そんな自分に「決着をつけなくては」と思い込み、感情が高ぶった瞬間に、強い決意で「死ぬために」外へ出る。
こういうプロセスの最初の「さまざまな要因」のひとつが、「今までやっていた仕事ができなくなること」である。それが、生きがいやアイデンティティが失われるという問題なのか、単純に収入がなくなり、生活が維持できなくなることへの不安によるものなのかは、不分明である。
もし、ベーシック・インカム導入で、人並みに生きるためのお金が一生保証されていたら、自殺者は減るのか。
シミュレーションしてみよう。
現代日本のレートで、一生、手取り年収1000万円が何もしなくても自動的に振り込まれるなら、普通の人は、まず死のうとは思わない。何かショックを受けることがあっても、立ち直るための経済的・時間的余裕は十分にある。これで死ねる人は、太宰治や芥川龍之介クラスの、よほど特殊な人だろう。
手取り月20万円=年収240万円ならどうか。
安いアパートに住み、つましい生活をするなら、基本的に生きていけるし、ある程度の「趣味」だってできる。もし、パートナーと二人で暮らせば480万円、子ども2人なら960万円である。もう、独身手取り年収1000万円と変わらない。離婚は、その条件を壊さないために減るかもしれないし、他のパートナーでもいいからかえって増えるかもしれない。
だが、1人当り年収1000万とか、月20万円は国家予算から考えてあまりに非現実的だ。
月7万円ではどうか。
これはフィンランドで2016年に実験的に行われた際の金額で、日本でも竹中平蔵氏が一時期そう主張していたことがある。
一人暮らしだと、これだけで生活していくのはしんどい。
だが、家族4人なら月28万円になる。ベーシック・インカムは「働くな」と言っているのではなく、「最低保証」だから、お父さんとお母さんが働けば、その収入も見込める。夫婦合わせて手取り月30万円稼げば、世帯収入は月58万円、年収696万円。十分ではないか。
この設定だと、独身より、家族で暮らした方が収入も増え、生活が安定するので、結婚して子どもを作ろうというインセンティブが働く。働かないとさすがにきついので両親は働く。少子高齢化の現在の日本を思えば、いいことではないか。
独身者であっても、何人かが同じ家に住み、食事を共にする共同生活でもいい。
つまり、ベーシック・インカム月7万円という設定は、孤独より集住が有利になり、しかも働こうという意欲も落ちない絶妙なラインである。人とのかかわりが濃密になれば、鬱状態や自殺衝動は早い段階から察知できる。
だが、月7万円のベーシック・インカムを支給するだけの税収が、日本にあるのか。
日本の令和2年度の福祉予算は 35 兆 8608 億円。これを全廃し、子どもも含めて1億2000万人の国民全員に分配すると、年29万8840円にしかならない。月2万4903円である。
月7万円のベーシック・インカムを支給するには、それだけで84兆円の国家予算が必要になる。
令和2年度の35兆8608億円の福祉予算は、一般会計予算(102 兆 6,580 億円)の34.9%を占めている。ベーシック・インカムの導入によって、「働かなくても食える」から「働かない」人が増え、必然的に国の税収が減ったら、到底月7万円のベーシック・インカムなど支払えない。
つまり、このシミュレーションから考える限り、いいことづくめに見えるベーシック・インカム制度は、わが国では実現不可能なのである。
もし実現するとしたら、ベーシック・インカム以外に稼いだ収入に対して、現在の数倍の所得税率や、消費税を課さなければならない。しかし、あまりに税金が高ければ、働く人の勤労意欲が下がり、結果的に税収が減り、制度を維持できなくなってしまうのではないか。


何かが間違っている。
人が働くのは、お金「だけ」のためではない。
自殺の要因のところに戻って考えると、「緊急事態宣言」で職を失った人が「もう生きていけない」と思い込むのは、単に収入がなくなったというだけではなく、仕事によって保っていた社会との関係やアイデンティティ=自分の存在意義を失った痛手の方が大きいのではないか。
無収入だけの問題なら、失業保険や生活保護といった制度もある。
だがそれ以上に、「福祉に頼らなければ生きていけない」という状況に陥った自分自身に、耐えがたい苦痛を感じてしまうのだ。
そして、逆説的だが、それが日本人らしさなのだと思う。
「他人に迷惑をかけない」「人様のお役に立つ」「お天道様に顔向けできないことはしない」というのが、日本人の根底に流れている倫理観である。
たとえ収入が減り、明日からどうなるか分からなくなったとしても、これまでの仕事がかろうじて続けていられた人は、「緊急事態宣言」下でもがんばって生きている。しかも、さまざまな制約を受けつつ、創意工夫して、少なくなった客へのサービスを向上させている。
だから、中国共産党による武漢市の閉鎖をお手本とした「ロックダウン」やら「緊急事態宣言」、そのための保証として「一人一律10万円」「1日6万円の飲食店時短支援金」「雇用調整助成金」といった政策は、「天下の愚策」なのである。
新しい感染症が入って来ても、絶対に国民の自由な経済活動を止めないこと。
そのための防疫政策ならいい。
ところが2020年の武漢ウイルス禍は、ウイルスの社会的リスクを冷静に見ないまま、ウイルスの死骸5匹分でも増幅してしまうPCR検査の陽性者を「感染者」と見なし、まず経済活動を止めるという、国民の生きがいや働く喜びなど全く考慮しない全体主義政権の強権政策を、全世界が模倣してしまった。
2020年2月末に、中国は武漢ウイルス禍を「鎮圧した」と宣言した。
それ以降、人口13億人の中国の感染者数は毎日1桁になり、一方、戦狼外交とともに、マスクやPCR検査キットを世界中に売りまくった。
欧米諸国は、あろうことか、そのプロパガンダを信じ込んだのだ。日本の「医者」の中にも、中国を見習えと言った人がいた。
ぼくも当時、中国方式でよいと書いたことがある。
だが、誤解されないように、それはPCR検査とロックダウンを進めろという意味ではなく、ただの風邪なのだから、感染者数をカウントする必要はないという意味であると書き添えた。
日本では、マスコミが日々報道する「感染者」とは、PCR検査で陽性判定が出た件数のことであり、大半が無症状である。
その無症状の「感染者」の増加を理由に、国民の生きがいや働く喜び、アイデンティティのよりどころになっていた職場=経済活動を破壊した。それが武漢ウイルス禍の本質である。
お金を配ったって、自殺した人は生き返らない。
ぼくらができることは、今後、二度とそのような事態を招かないよう、この政策を推進した者の責任を批判し続けることだ。
「コロナ後」の社会について、リモートワークとベーシック・インカムを組み合わせるという議論があるが、それは全くの幻想である。小池都知事は会見のバックに「リモートワーク7割」などと掲げているが、デスクワークだけで済む仕事は事務職だけだ。「緊急事態宣言」下でも、フィジカルに現場へ行って働かねばならない人の方が多かったのだ。
しかも、これまで見てきたように、ただでさえ国民の生産力、すなわち税収の源泉が落ちている中、ベーシック・インカムを支給できるはずがない。
では、どうするか。
それは、1日も早く自由な経済活動を取り戻し、日本の伝統的労働観に立ち返ることだ。
つまり働く人に「〇〇師」「〇〇家」と敬称をつけ、そのスキルや知見に敬意を持ち、働く人は常に誇りと向上心をもって丁寧にモノを作り、相手の身になって接客する根っからの職人気質、すなわちニッポン哲学こそ、そのキーワードである。
(つづく)