ニッポン哲学(6) | 私、BABYMETALの味方です。

私、BABYMETALの味方です。

アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ
本日3月25日は、2012年、さくら学院2011年度卒業式が行われ、初代生徒会長武藤彩未らが卒業し、2016年、FUJI ROCK FESTIVAL '16への出演決定が発表された日DEATH。

<2021年3月24日現在>                
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死者数        累積8,908     2月22日7,474         直近30日間1,434
致死率        累積1.94%    2月22日1.76%        直近30日間4.29%
(データ元:厚労省「新型コロナウイルス感染症に関する報道発表資料」)

常に誇りと向上心をもって丁寧にモノを作り、相手の身になって接客する根っからの職人気質、すなわちニッポン哲学を体現しているのが、我田引水ではあるが、われらがBABYMETALである。
アイドルに激しいロック音楽をやらせるというアイデアは、決して新しいものではない。
1970年代にもロックっぽい楽曲を歌っていたアイドルはいたし、1980年代には、ディストーションのかかったギターリフやソロが入らない「歌謡曲」はなかった。80年代後半には、“ヘヴィメタル”をキャッチコピーにしたアイドルも存在した。
海外にも「ロックアイドル」は存在した。
もともとロックバンドの女性プレイヤーだったのを、セクシーな「アイドル」に仕立て上げる場合もあれば、モデルや女優の卵をロックシンガーに仕立て上げる場合もあった。いずれにしても、ロックというジャンルではあっても、容姿の美しさや、セクシーであることをセールポイントにする「売らんかな」のいかがわしさが漂っていた。まあ、スージー・クアトロは、ぼくの最初のロックアイドルであったけど。
2010年にさくら学院重音部として結成されたBABYMETALが、それまでの「ロックアイドル」と違っていたのは、ぼくの考えでは3点ある。
馴染みやすいアニメ主題歌のようなメロスピ/パワーメタルだけでなく、メタルの極北ともいえるデスメタルやスラッシュメタル、ハードコア、ラップメタル、ジェントといった様々なメタルのサブジャンルを「BABYMETALの音楽」に組み込んだこと。
そんなメタル濃度の高い音楽性にも関わらず、アイドルらしい振り付けダンスで踊りながら歌うこと。しかも、それは「セクシー」を目指したものではなく、幼い少女が持つ「純真さ」を表現するものだったこと。
そして、プロダクトとして高いトータル・デザイン性を持っていたこと。
2010年~2011年当時、BABYMETALのステージコスチュームは、ギンガムチェックのスカートや縞柄のニーソックス、女児礼装用の黒いドレスといった私服であった。
だがそれは黒と赤を基調にしており、2012年以降はメタルの光沢を放つ鎧型のコスチュームに赤いチュチュというステージ衣装に変わっていった。
2012年10月6日に行われたLEGEND “I”では、「紅月-アカツキ-」でSU-METALがマントを翻して歌う「メタル少女戦士」のいで立ちが披露され、2016年以降は黒とメタルのコスチュームに変わった。
ステージ衣装だけでなく、舞台演出も、2012年4月の「第2回アイドル横丁祭り」で、eRaの「AMENO」を出囃子として登場し、“生バンドスペシャル“というテーマを逆手にとって、全身骨タイツのBABY BONE(通称骨バンド)がバックで当てぶりをした。
当時、最年少のKawaiiアイドルだったのに、黒赤を基調としたコスチューム、不気味で神秘的な登場、得体のしれないガイコツ男たちがバックで踊るという演出の上に、SU-METALの類まれな歌唱力があり、YUI、MOAのKawaiくも全力のダンスがあるという、笑っていいのか、怖がるべきなのか、それとも感動すべきなのか、観客の感情の持っていき場がないほど重層的な作りになっていたのが、BABYMETALだった。


普通に考えれば、幼い少女たちにデスメタルをやらせるという思い付きは、アイデア倒れになるか、いかがわしいものに堕してしまうのがオチだろう。
しかし、BABYMETALの場合、あらゆるプロダクトがメタルバンドの「あるある」や、キリスト教、カバラ、神智学といったサブカル思想の細かい「引用」になっており、かつ、楽曲・歌唱・ダンスとも、アミューズならではの高いクオリティを持っていた。
上から目線のようで心苦しいが、それに応えたメンバーの天才性や努力はもちろん称賛されねばならないのだが、そこまでのクオリティをすべてのスタッフに要求したKOBAMETALの偏執ぶりは特筆に値するだろう。
例えば、グッズの定番であるTシャツ。
安く作ろうと思えば、アイドルグッズなのだから、メンバーカラーの布地に、名前とサインがプリントされていれば売れる。
しかし、BABYMETALの場合、材質や縫製はともかく、黒の布地に江川敏弘氏、KAgaMI氏、Yutty氏といった一流デザイナーが担当した、エクストリームとしかいいようのない絵柄とロゴがプリントされており、もはやアートの領域に達していた。
また、BABYMETALのライブは、前述のLEGEND “I”以降、「紙芝居」による荒唐無稽なBABYMETAL神話―メタルの神キツネ様とMETAL RESISTANCE―の物語が展開する一種のミュージカルになった。
そこにリアリティを持たせる大掛かりな舞台装置、照明、レーザーショウ、曲間に入るオーケストラのインターリュード、スモーク、パイロといった特殊効果で、観るものを非日常の世界へ誘い込む。
目の前のKawaiiメンバーと、壮大な演出の中で、観客は絶叫し、ジャンプし、走り回るしかない。
最新の10 BABYMETAL BUDOKANのセンターステージ構造は、2014年の日本武道館公演とも、2016年の東京ドーム公演とも違う。
2017年、メタリカのソウル公演をヒントに、BABYMETALのステージでも、バックに巨大スクリーンを置く舞台構成が導入された。2018年のDarkside日本公演では、△▽ステージが油圧で上下する大掛かりな舞台装置が、ぼくら観客と、Dark Vader卿、ヨアキム・ブローデンの度肝を抜いた。
それらの経験が積み重なって、10 BABYMETAL BUDOKANでは、観客が高い所から見下ろす日本武道館特有の構造を生かしたフロアスクリーンへと進化し、歌い踊る三人がフロアスクリーンの映像、上下する三重ステージのサイドスクリーンの映像、スモーク、パイロの炎、レーザーショウと一体化して、1曲1曲、夢のような音楽空間を創り出した。


それは、音楽と演奏だけでなく、舞台装置、照明、映像、特効、さらにはⅦ当日まではネットでだけ販売され、家に届いたグッズのデザインや質感に至るまで、窮屈な「緊急事態宣言」のレギュレーションを逆手にとってチームBABYMETALが魂を込めて展開した総合芸術であった。
ここまで緻密に演出された音楽ライブはかつて見たことがない。
ピンクフロイドの空飛ぶ豚やTHE WALLだって、装置こそ大掛かりだが、あれは演奏とその場限りのハプニング性を楽しむものだった。
BABYMETALのライブにハプニング性はない。
煽りのシークエンスも含めて、セットリストそのものが、観客にとって非日常の空間=ハプニングになるよう計算され、演出されつくしているのだ。
要するに、BABYMETALというプロダクトは、楽曲が入ったCD、神バンドの演奏と三人のステージング、舞台演出を堪能できるライブDVD/BD、Tシャツを含むデザイン性の高いグッズ等々、所有すること、ファンであることが喜びになる「モノ」なのである。
それは、この連載の冒頭で書いたように、魂を込めて丁寧に造られているからだ。
たかがアイドル、たかが大衆音楽である。
生ギター一本の弾き語り、作業着のままアンプ直の3コードだけで感情をぶつけるシンプルなパンク。そういう音楽が心に沁みることもある。
あるいはアイドルなんて、見た目と言動が可愛けりゃ、ピッチやリズム感が悪くても、ダンスが下手でもかまわない。そういう考えもあるだろう。
だが、そういう音楽やアイドルは、一瞬の輝きを放ったとしても、時代と共に忘れ去られてゆく。のちにファンが懐かしく思い出すとき、それは「あの時代」を生きた自分へのセンチメントと区別がつかないだろう。
魂を込めて、血と汗がほとばしるような修練を重ね、さまざまな人の才能を集めてプロデュースされた音楽は、そうではない。
まず、音の厚みが違う。メロディにもコード進行にも、ドラムスの手数の多さにも、重ねるベースやギターソロにも、才能のきらめきと魂が込められている。
革新性と様式美を兼ね備え、そのスタイルは、後に続く音楽の「基礎」となる。
そして、それを担ったアーティストは永遠に輝きを放ち続けるだろう。
BABYMETALは、すでにその域に達している。
KOBAMETALとメンバー、そしてチームベビメタは、なぜBABYMETALをこんなプロダクトにしようとしたのだろう。
我田引水ついでに言えば、2010年のさくら学院に、たまたま、あるいはキツネ様のお導きによって、ニッポン哲学の持ち主が集まったからだろう。
あるいは、キツネ様が、天の岩戸の前で踊ったアメノウズメ=大市比売と疫病退治の神素戔嗚の娘であり、芸能と道案内の神猿田彦が義理のお父さんだったからかもしれない。
世界に光を呼び戻すために、魂を込めて歌い踊る。それが芸能者の役割だ。
だから、一切の手抜きはしない。全身全霊をパフォーマンスに込める。その完成度を高めるため、血の滲むような努力をし続ける。昨日より今日、今日より明日へ、向上しようとし続ける。
BABYMETALを見た後、全身に「俺も頑張んなきゃ」とやる気がみなぎるのは、彼女たちが、こういうニッポン哲学の塊のような存在だからだろう。
そんなBABYMETALに出会えたこと、ニッポン哲学を考えるきっかけを与えてくれたことを、キツネ様に感謝したい。
(この項終わり)