Another 10 Yearsベビメタ名場面(1) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ
本日3月27日は、過去BABYMETAL関連で大きなイベントのなかった日DEATH。

ベストアルバム『10 BABYMETAL YEARS』は、「ド・キ・ド・キ☆モーニング」から「PA PA YA!!」まで、リリース順にBABYMETALの代表曲を集めた構成になっている。
初回限定版には、YouTubeにアップされた公式MVのBDも付属しているが、BABYMETALの10年はそれだけでは語れない。
そこで、ぼくの勝手なチョイスですまんが、デビュー以来10年間に、ファンが目撃し、心動かされた名場面を語っていこうと思う。
なお、さくら学院時代のエピソードは割愛し、また、ぼくがBABYMETALファンになったのは2015年なので、それ以前の名場面は、映像作品やYouTubeにアップされた動画に頼るしかないことをご了解いただきたい。それ以降は、公には残っていない、ぼくが直接見たものも語っていきたい。
各場面は、感動のあまり細部が誇張されているかもしれないので、あらかじめお断りしておく。重大な記憶違いがあれば、ご指摘いただければ幸いである。

<2010年~2011年>

●2010年11月28日
2010年度さくら学院祭@横浜赤レンガ倉庫3Fホール(定員300)
<セトリ 1曲>
01. ド・キ・ド・キ☆モーニング

さくら学院中等部1年生の中元すず香、小等部5年生の水野由結と菊地最愛の3人が、一つのユニットとして客前にデビューしたのがこの日。
まだBABYMETALとは名乗っておらず、あくまでもさくら学院の部活動(=グループ内ユニット)「重音部」であり、持ち歌も「ド・キ・ド・キ☆モーニング」だけだった。
この日、横浜赤レンガ倉庫3Fホールに集まったのは、おそらく第1回東京アイドルフェスティバルでさくら学院を知り、「父兄」になったアイドルファンと思われるが、BABYMETALのデビューを目撃したことは、子々孫々に語り継がれるだろう。1964年のドイツ、ハンブルグのGroße Freiheit 36で、違うバンドにいたリンゴ・スターが初めて助っ人ドラマーを務めたThe Beatlesを見た酔客のように。
もしデロリアン=タイムマシンがあるなら、この場に立ち会ってみたいと思うメイトはぼくだけではないだろう。

●2011年2月12日
さくら学院Happy Valentine@原宿アストロホール(定員400)
<セトリ 1曲>
01.    ド・キ・ド・キ☆モーニング

さくら学院は、2010年12月14日に1stシングル「夢に向かって / Hello ! IVY」をリリース。
固定の「父兄」がつき、初の地上波出演となる「月刊Melodix」(テレビ東京)の収録も決まり、アイドルグループとして「ジョンジョン」(Copyright©森ハヤシ)上昇中だった。
そのため、全員が中学生以下で小学生メンバーもいるというのに、「お見立て会」や「握手会」を行う疑似恋愛的アイドルグループにありがちなバレンタインデーイベントとして、Happy Valentineを2011年2月12日に実施した。
ここで全体セトリの中ほどに登場した重音部は、初めて「BABYMETAL」と名乗った。
かわいい女の子=BABYと、ヘヴィメタルの“赤ちゃん”をかけたので、「ベィビィメタル」ではなく、「ベビーメタル」と日本語英語で発音するのが正しい。
このときのロゴは、現在のものとほぼ同じデザインだが、Bの中のハートがピンクに塗られ、ひび割れのような模様はなかった。水野由結と菊地最愛はバトン部Twinkle Starsとの兼部であり、重音部BABYMETALも、あくまでも“成長期限定アイドルユニット”さくら学院の部活として、“メタルカワイイ”路線だった。

●2011年10月12日
No Music, No Idol? @新宿LOFT(定員300)
<セトリ 2曲>
01.    ド・キ・ド・キ☆モーニング
02.    イジメ、ダメ、ゼッタイ

Happy Valentineから1か月後の2011年3月11日、東日本大震災が発生し、さくら学院は活動休止を余儀なくされた。AKB48やももいろクローバーZは被災地でのチャリティコンサートなども行ったが、小中学生だけで構成されるさくら学院は、公式ブログさくら学院日誌(Amebaブログ)でのメンバー直筆の近況報告の発信にとどまった。
活動が再開できたのは、5月1日の1stアルバム発売記念タワレコライブ(渋谷、新宿)からで、その後は、さくら学院2011年度New Departure(田口華、磯野莉音が“転入”)、第2回TIFと前年に切り拓いたアイドル界でのポジションを着実に広げていった。
そんな中、2011年度さくら学院祭に先立って、新宿LOFTでタワーレコード主催の「No Music No Idol?」が開催され、さくら学院のユニットとしてBABYMETALが出演した。
なぜこのイベントが重要かというと、こんな顛末があるからだ。
時期ははっきりしないが、さくら学院結成の前後、アミューズ社のバラエティ班に配属されたサラリーマン・プロデューサー小林啓氏、のちのKOBAMETALは、たまたま、中国でのイベントの仕事で知り合ったニッポン放送アナウンサー吉田尚記氏に、何でもありのアイドル戦国時代にユニットとしてどんな特色を出したらいいか、相談したという。
小林氏が強度のヘヴィメタル好きであることを聞いた吉田氏は「そういうのもアリじゃないですか」と答え、それっきりになっていたが、この新宿LOFTでのライブに招待され、そこで初めてBABYMETALを見て、「こうなったか‼」と感嘆したという。
その縁から、BABYMETALは、吉田尚記氏がパーソナリティを務めるニッポン放送「ミュ~コミプラス」に何度か出演する。そして2013年10月7日にオンエアされた「BABYMETALのオールナイトニッポン」では、YUIMETALが「寝てんじゃねえ、豚野郎!」と叫ばされた以上に、重要なやりとりがあった。
番組中で、インタビュアーとなった吉田尚記氏が、「海外で印象に残った国は?」と質問したのに対して、SU-METALが「9月に行ったインドネシア。シンガポールと違ってフェスみたいでした」と答え、続いてYUIMETALが「どこでもいいからたくさんの国に行きたい。いろんな人と話したい」と言ったのを受けて、吉田尚記氏が「ワールドツアーですね。ポルトガルから入ってスペイン、ベルギー、フランスみたいな。」と言い、三人が「やりたい!行きたいねー」と盛り上がった。
それが2014年7月の初ヨーロッパツアーに結実するのである。
「ミュ~コミプラス」は、数々のアイドルを世に出してきた。
特にBABYMETALは、結成そのものに吉田尚記氏が関わり、世界進出も彼のインタビューが起点となった。「ミュ~コミプラス」が終了したのは実に惜しいが、ここはメイトの一人として、深く感謝を捧げたい。
(つづく)