みなさん、健康のために「運動」してますか?

 

「1日1万歩歩きます!」とか健康のためにウォーキングする人がいると思うのですが、「うごく=健康になる、うごかない=不健康になる」ことは、体のミクロレベルでも言えそうです。

 

脊椎(背骨)は、24個の椎骨(骨)の間に椎間板(軟骨と同様の成分)が挟まっているのですが、歳をとって身長が低くなっていく原因のひとつは「椎間板が少しずつ減少していくから」です。

 

椎間板の成分はコラーゲン20%、プロテオグリカン5%で、のこりは水分が70~80%です。

 

椎間板には血管が通っていないので、そのままでは必要な栄養を届きません。栄養が届かないと椎間板はどんどん劣化していきます。

 

では、どうやって栄養を入れていくかというと「椎間板の中の水分の出入り」です。

 

背骨を動かすことで椎間板が圧迫されると、水分が押し出されます。そして圧迫がなくなると水分が戻ってきます。「息を吸って~、吐いて~」の呼吸と同じですね。栄養補給するには水分の出入り(椎間板を動かす)しか方法はありません。

 

背骨の動きが悪い部分は、椎間板も動かないので栄養補給も不十分になり、劣化していきます。ただ、劣化していっても背骨を安定させないといけないので、みずみずしい椎間板には繊維質がふえていき、やがて骨化していきます。骨化すると安定はしますが、さらに背骨の動きが悪くなったり神経を圧迫したりします。

 

つまり、健康な背骨でいるには、動かしにくくなった部分を動かして、椎間板の中の水分を出し入れすることが大切なのです。

 

「うごく」ことは人間にとって大事なことです。

 

歩くこともそうですが、血液が詰まれば、そこの細胞は死んでしまいます。頭も働かさなくては認知症に近づきます。骨も破骨細胞と骨芽細胞がはたらいて、壊しては作るを繰り返しています。細胞自体もタンパク質を材料にして日々作り変えられています。

 

究極の「動かない」は「死」です。

 

生きているということは体の中が常に「うごいている」ということなのです。

 

今日は「勤労感謝の日」。仕事の人もいるかもしれませんが、全国的にも天候のよさそうな今日。思い思いの「うごく」を実践してみませんか?

前回リンクさせていただいた「介護ニュース joint」には、「課題分析標準項目」の一部改正について、石山麗子さん田中絋太さんら著名人のコラムも寄せられています。それだけ注目されているニュースなんですね。

私も自分なりに、この改正がどういう意味を持つのか考えてきましたが、今回で最終回になります。

 

私が注目すべきポイントは、このように項目を具体的に、かつ細かく示されているなら、「アセスメントからケアプラン作成までケアマネジャーの手を借りずともAIの手を借りて完成してしまうのではないか」。よってケアマネジャーがこの世から消滅してしまうのではないか、という心配です。

しかし、このテーマを書いている間に厚生労働省が日本介護支援専門員協会の全国大会の場で「AIにケアプランの決定は絶対できない。ケアマネジャーの役割は変わらない」ということを知りました。

 

 

 

そうか~、これで一安心……なわけないじゃないですか!

ケアマネジャーばかりいる場で「ケアマネ要りません」って、口が裂けても言えないわ。

 

 

 

ふつうに考えれば、今すぐにでもAIにアセスメントとケアプラン作成させることは不可能ではないと思います。

しかし、みなさんがやっているケアマネジメントはそんなものではないですよね?

 

 

 

ケアマネジャーの仕事は「感情労働」の一つにカテゴライズされています。看護師や介護士も「感情労働」に入ります。医師や教師、サービス業も入ります。対語となるのは「肉体労働」です。

「感情労働」とは何か、知りたいた方はこちらへ。

 

ケアマネジャーは対人援助職のひとつです。加齢により身の回りの支援が必要になった方とご家族の相談に乗り、立ちいかなくなりそうな生活を、いろいろな方法を介して支える仕事です。

利用者の悩みや悲しみや苦しみを聴き、(生きていてもいいんだな)(これからも生きていきたいな)と思い続けるようにする仕事なんです。

 

ケアマネジメントが「感情労働」であり続ける限り、AIやコンピューターに仕事を奪われることはないでしょう。利用者や家族は感情を通わせたいと思っているからです。
利用者や家族は気持ちを誰かに聴いてもらいたいと思っている人が大半です。だって介護の問題は自分や家族の生活を一変させるから。
言いたくない人は心を開けないだけで、抱え込んでいる人は言える相手や場所を知らないだけです。

 

 

 

ただ、感情を通わせない、単なる「ケアプランを作成する人」では先はない、と思います。

 

 

 

AIでケアマネジメントはどうなるか」で、私のブログにたびたび登場するYMOを例に上げましたが、リーダー・細野晴臣氏が回顧録でYMOを結成した目的の一つとして「グルーヴなんか捨ててしまおう」というものがあったそうです。しかし、「すぐにそれは飽きてしまった」と語っていました。(「グルーヴとは」こちら
音楽にグルーヴは欠かせない要素のひとつであり、それは人の手で行わなければ生まれないことに気づき、その後のYMOの曲には至るところに生楽器での演奏が織り交ざっています。

グルーヴのない音楽は、人の感情を動かさない、つまらない音楽だったということです。

 

結論。

厚生労働省は「AIにケアプランの決定は絶対できない。ケアマネジャーの役割は変わらない」と言いました。私は、「ケアプランは作成できるが、ケアマネジメントはできない」と考えます。

そして今後、「課題分析標準項目」を埋めるだけのケアマネジャーなら不要、利用者や家族に共感しつつケアマネジメントを遂行できるなら必要、という時代になって行くのではないかと思います。ケアプランナーは消滅するが、ケアマネジャーは生き残る、ということですね。

「課題分析標準項目」一部改正が示されて、今後「アセスメント」をこれに沿ってやっていけば情報の聞き漏らしもなくなり、ケアマネジャーの力のあるなしに関わらず、それなりのケアプランを作成することが可能になってくるのではないか、と想像します。

 

ケアマネジャーの当たり外れがなくなりそう、というのが私の”最初の”見解でした。

 

しかし、よくよく考えてみると、ケアマネジャーが聞き取る手間をなくして、利用者自身が、あるいはその家族が自分でPCに入力してAIに分析させれば、ケアプランができてしまうのではないか?と思いました。

 

そうなると、ケアマネジャーはいらなくなるし、ケアマネ不足は解消するなあ、と。

 

「だから、ケアマネジャーの今の仕事ぶりでは、AIにとって代わられる可能性は大いにあると思っています。」

と、「AIでケアマネジメントはどうなるか」で書いたことが、もう実際に実現されそうだと思ったのです。

 

……と、思っていたら、「日本介護支援専門員協会」の全国大会で厚生労働省は、「そのようなことは絶対にない」と言ったそうです。

 

え~、ほんとかな~。ケアマネの集まる場で「ケアマネはいらなくなります」って言えるはずがないもんね~。

 

厚生労働省の言うことは根拠のない口約束みたいなものですが、私も結論を言うと、「たぶん」無くなることはないと思います。

 

それをケアマネジメントおよびケアマネジャーの性質から考えてみたいと思います。次回最終回です。