なんやろうか。

障害がないって思うことが障害か、

また、そう思うことに至った育ち方なのか・・・・


はたまた障害を持っている方自身なのか


みなさまはどう思いますか

 現在の広辞苑の意味では、障害は「身体器官に何らかのさわりがあって機能を果たさないこと」である。これは「さわりがあるため障害というのは当たり前」というのだが、ではさわりとは何だろうか。さわりとは「さまたげ」である。かみ砕いて言えば、邪魔である


 ここで考えてみて欲しいのが、本当に障害者は邪魔な者なのかと言うこと。国全体、国民または障害者遺族、患者遺族(福祉の言葉を言えば利用者)は邪魔な者だから制度で排除しようとしてはいないか、邪魔だから就職で障害者雇用1~2%で邪魔な部分を抑えようとしてはないか。では、本当に国または企業(ありとあらゆる全ての企業)で働いている健常者は全て有能なのか、全てにおいて一人で出来るのかまたは出来たのか。


 今は大不況の真っ只中。もう一回障害について考えてみよう。

もう差別や区別を生む要因ではないかと最近思います。

名前を付ける
  ↓
区別をする
  ↓
その区別が集団的または団体的になる
  ↓
その集団的・団体的がかたまって差別になる

と言った感じです。



差別を無くそうとすると差別の根源である名前を無くさないといけない
気がしています。障害・病気にいたっても、いたって同じだと思います。

名前が無い世界なんて無いと思う。だとするならば、差別有りきにして
差別と一緒に戦うほうが懸命だと僕は思います。



その上で、例えば、全ての障害者(乳児から始まり老人まで)は
動けないから施設????はぁ~~~、何呑気な事を言ってんの??
ALS(筋萎縮性側脊硬化症:難病の1つ)(←うちは究極の福祉の1つだと思う)の人はどうなる???そもそもALSを知ってんの???
施設も良いけど、自分を育ててくれた親だろ????


安いから入れる???はぁ~~~~、何て愛のないまたは精神の低い日本だよ!!!



まず隣近所3軒同士で付き合えよ!!!