昨年亡くなったミュージシャンにはいろいろと思い出のある方が多かった。
Burt Bacharach、Bobby Caldwell、Ian Bairnson (PILOT)、Tina turner、Randy Meisner (EAGLES)、George Winston、鮎川誠 (SHEENA & THE ROKKETS)、PANTA (頭脳警察)、新美俊宏 (BOW WOW)、もんたよしのり、大橋純子、谷村新司、水木一郎…(思いつくまま順不同)
僕にとって最もショックだったのは Jeff Beck なのだが、同じくらい動揺したのは YELLOW MAGIC ORCHESTRA (以下YMO) のメンバー、高橋幸宏と坂本龍一が相次いで亡くなったこと。
何故、今回のタイトルがRYDEENなのかは、後ほど…
高橋幸宏が旅立って丁度1年。
彼の名前はドラマーとして知ったのだが YELLOW MAGIC ORCHESTRA (以下 YMO) でヴォーカルも担当したことのインパクトは大きかった。
歌えるドラマー…コーラス要員ではなくリード・ヴォーカルをとれる人として思い浮かぶのは、日本なら…つのだ☆ひろ、稲垣潤一、ジョニー吉長 (PINK CLOUD)、笠浩二 (C-C-B)…、海外なら…Don Henley (EAGLES)、Phil Collins (GENESIS)、Peter Criss (KISS)、Narada Michael Walden…といったところか。
なんだか個性的な声の持ち主が多い気がする。
高橋幸宏の「声」は歌えるドラマーの中では「か細い」印象で、所謂「歌唱力」で聴かせるタイプではないと思う。しかし、彼もまた個性的な声の持ち主であるし、それが魅力なのは言うまでもない。
僕が高橋幸宏のYMO以前を知るのは、高中正義の作品を遡り ソロ → SADISTICS → SADISTIC MIKA BAND と聴いたことからだった。
黒船/SADISTIC MIKA BAND (1974)
ミカと加藤和彦が抜けて誕生したといえる SADISTICS で高橋幸宏は一部の作詞や作曲も担当しているが、1stアルバムではリード・ヴォーカルとしてのクレジットはなかった。
2nd "WE ARE JUST TAKING OFF" の出る少し前には 1stソロ "SARAVAR!" が出ている。そしてライヴ・アルバムを残して SADISTICS は消滅する。
WE ARE JUST TAKING OFF/SADISTICS (1978)
YMOは黎明期こそヴォーカル曲は少なかったが、アルバムを重ねる毎にその比率が増していく。
YELLOW MAGIC ORCHESTRA/YELLOW MAGIC ORCHESTRA (1979:US)
1st では "LA FEMME CHINOISE(中国女)"、2nd では "DAY TRIPPER"、"SOLID STATE SURVIVOR" とアルバム2枚で計3曲。
(※ヴォコーダー・ヴォイスと、YELLOW MAGIC (TONG POO) は除外)
SOLID STATE SURVIVOR/YELLOW MAGIC ORCHESTRA (1979)
続くライヴ盤 "PUBLIC PRESSURE" ではその3曲に SHEENA & THE ROKKETS に提供した "RADIO JUNK" を加え、アルバムのインスト曲とヴォーカル曲の比率がほぼ半々になった。
PUBLIC PRESSURE/YELLOW MAGIC ORCHESTRA (1980)
YMOのライヴといえば、サポートの矢野顕子や大村憲司のヴォーカル曲も取り入れていったことはファンなら御存知の通り。
MULTIPLIES/YELLOW MAGIC ORCHESTRA (1980)
そこにインストだけでは売りにくいという関係者の考えがあったのかも知れないが、その後もYMOのアルバムにおけるヴォーカル曲比率は上がっていく。
BGM/YELLOW MAGIC ORCHESTRA (1981)
"BGM" や "TECHNODELIC" にヴォーカル曲がなかったら、もっと重いイメージの作品になっていたのでは…
TECHNODELIC/YELLOW MAGIC ORCHESTRA (1981)
その後、YMOがこういう形に行き着くとは思わなかったが…(笑)
NAUGHTY BOYS/YELLOW MAGIC ORCHESTRA (1983)
この曲は好き♪
SURVICE/YELLOW MAGIC ORCHESTRA (1983)
YMOの歴史は "FIRECRACKER" をレコーディングするアイディアから始まったが、細野晴臣は他のメンバーは誰でも良かったと考えていたらしいし、メンバーはヴォーカルを取らない方針だったとか。
だから、他のメンバーが坂本龍一と高橋幸宏でなかったら「その後」は全く違っていただろうし、ヴォーカルの存在は音楽性にかなり影響したではないかと思う。
一方で高橋幸宏のソロ・アルバムも発表されていく。
SARAVAH! (1978)
1stこそ所謂「シティ・ポップ」な雰囲気だが、YMO 加入後の2ndからはニューウェイヴやテクノ的なサウンドに変わっていく。
MURDERD BY THE MUSIC (1980)
しかし、基本的にはヴォーカル曲で構成され、どこかナイーヴで洒落た雰囲気が漂う作風は変わらずに続いて行く。
NEUROMANTIC (1981)
決してドラマーとしてのプレイをクローズ・アップすることはなく…
WHAT ME WORRY? (1982)
そんな作風は原田知世と組んだ PUPA や、METAFIVE にも感じられる要素だと思う。
FLOATING PUPA/PUPA (2008)
METAHALF/METAFIVE (2016)
しかし、インストでYMOの代表曲のひとつ、"RYDEEN" は高橋幸宏の作だ。
21世紀になって細野晴臣と高橋幸宏が SKETCH SHOW を結成し、そこに坂本龍一が合流して HUMAN AUDIO SPONGE (HAS) に発展、そこからHASYMO を経て YMO の名前が帰ってくる。
しかし、YMO としてライヴ音源以外の「新作」が発表されることはなかったが、HASYMO のシングルとして新曲 ”RESCUE" 、そのカップリングに YELLOW MAGIC ORCHESTRA 名義で "RYDEEN 79/07" が収録された。
RESCUE【HASYMO】/RYDEEN 79/07 【YELLOW MAGIC ORCHESTRA】
(2007)
元々はCMの為に録られたらしいが…
これ以後に YMO のスタジオ・レコーディング音源はないと思っていた。
ところが…
高橋幸宏か亡くなった後、FMの番組から YMO 名義で "HELLO GOODBYE" が流れてきた。もちろん、THE BEATLES のカヴァー。
即座に調べてみた。
すると、坂本龍一監修の "commons : schola vol.5" に収録されていることが判った。
commons : schola vol.5 -
Yukihiro Takahashi & Haruomi Hosono Selections - Drums & Bass/Various (2010)
”commons : schola” とは…
「知る楽しみを享受する教材として、commons独自のコンセプトに基づきユニークな選者と共にクラシック+非クラシック、全30巻(予定)で構成する個性的なシリーズ」
(商品オビより)
120ページの本にCDが付属という体裁の商品。
ちなみに\8,500…(;^_^A
この中に "HELLO GOODBYE" と "THANK YOU FOR TALKIN' TO ME AFRICA" (SLY & THE FAMILY STONE のカヴァー)が YMO の演奏で収められている。
これが YMO として最後のスタジオ・レコーディング音源のようだ。
また、"schola" はTV番組も制作されたようで…
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昨年11月、高橋幸宏のソロ作品のベスト・アルバムが組まれた。
THE BEST OF YUKIHIRO TAKAHASHI - EMI YEARS 1988-2013 (2023)
高橋幸宏と THE BEATNIKS で組んだ鈴木慶一による選曲、砂原良徳によるリマスタリングでのCD2枚組。
続いて12月から同時期のオリジナル・アルバム14作が順次再発されていくようだ。
没後にこんな企画が組まれるのは「なんだかなぁ」と思わなくもないが、高橋幸宏の軌跡を振り返る機会を得たことは素直に喜んでおこう。
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YMO などの音楽が「テクノポップ」と呼ばれることがあるが、YMO の「ポップ」な側面の多くは高橋幸宏によるものではないかと思う。ことファッション・センスについては言及するまでもないだろう。
そんな洒落たセンスとドラム・プレイと同じくらいに魅力的なヴォーカル、そしてRYDEEN を書いたのが高橋幸宏だということは、ずっと記憶に残っていくに違いない。